チーズの穴はなぜできる?
細菌が出す二酸化炭素の泡です。泡が集まる「芯」は、牛乳に入った微細な干し草のかけらでした。
チーズの絵を描いてください、と頼まれたら、多くの人が黄色い三角形に丸い穴をいくつか描きこむでしょう。アニメのネズミが抱えているのも、たいていこの穴あきチーズです。モデルになっているのは、スイス生まれの「エメンタール」というチーズです。
でも、チーズの穴はいったいどうやってできるのでしょうか。誰かがあけたわけではありません。じつはこの穴、チーズのなかで働く小さな生きものがつくる「泡」なのです。そしてその泡のでき方には、2015年になって新しい発見が加わりました。
穴の正体は細菌のおなら
エメンタールづくりには、3種類の細菌が欠かせません。乳酸をつくるサーモフィルス菌やヘルベティカス菌、そしてプロピオン酸菌です。
前の2種類が牛乳の糖を乳酸に変えると、プロピオン酸菌がその乳酸を食べて、プロピオン酸、酢酸、そして二酸化炭素を出します。この二酸化炭素がチーズのなかで逃げ場を失い、少しずつたまってふくらんだものが、あの丸い穴です。チーズづくりの世界では、この穴を「目(アイ)」と呼びます。
プロピオン酸菌がつくるプロピオン酸などは、エメンタール特有の、ナッツのような甘い風味のもとにもなっています。穴と味は、同じ細菌の仕事から生まれているわけです。
穴は「温かい部屋」でふくらむ
プロピオン酸菌が元気に働くには、ある程度の温かさが必要です。そこでエメンタールの製造元団体によると、チーズはまず19〜24℃ほどに保たれた発酵室に移されます。ここで6〜8週間ほど過ごすうちに、穴がちょうどよい大きさに育つのだそうです。
穴が育ったら、チーズは約12℃のひんやりした貯蔵庫へ移されます。温度が下がると穴づくりは止まり、チーズはゆっくり熟成を続けます。本場のエメンタールは、売りに出されるまでに少なくとも120日を熟成庫で過ごします。
穴の大きさは、温度や酸っぱさ、熟成期間によって変わります。職人たちは昔から、こうした条件を調節して穴の育ち方をコントロールしてきました。
泡の「芯」は干し草のかけらだった
ここでひとつ疑問が残ります。二酸化炭素の泡は、なぜチーズ全体に細かく散らばらず、ところどころに集まって大きな穴になるのでしょうか。
細菌の二酸化炭素が穴をつくるという説明は、20世紀の初めから知られていました。1917年にはアメリカの研究者が、エメンタールの「目」のでき方についての論文を発表しています。ところが2000年代に入ると、スイスでは困ったことが起きていました。エメンタールの穴が、年々減ってきたのです。
原因を突きとめたのは、スイス連邦の農業研究機関アグロスコープでした。2015年に発表された研究によると、カギは搾乳のときに牛乳に落ちる、目に見えないほど小さな干し草のかけらでした。このかけらが泡の「芯」になり、そこに二酸化炭素が集まって穴が育つというのです。研究チームは牛乳に加える干し草の粉の量を変えてチーズをつくり、粉の量によって穴の数が変わることを確かめました。
昔はバケツで手搾りをしていたので、牛舎に舞う干し草のほこりが自然に牛乳に入っていました。しかし、密閉された搾乳機が普及し、衛生管理も厳しくなると、牛乳はとてもきれいになりました。そのぶん泡の芯が足りなくなり、穴が減ってしまったと考えられています。牛が干し草を食べる冬よりも、草を食べる夏の牛乳でつくったチーズのほうが穴が小さかったという、昔からの観察とも話が合います。
穴を取り戻すための裁判
穴の少ないエメンタールは、品質に問題はなくても、いかにも物足りなく見えます。そこでエメンタールの生産者団体は、原料に「干し草の花の粉」を加えることを認めてもらおうとしました。
ところが、本場の伝統製法を守る規則を管理する国の役所は、これに反対します。争いは裁判にまで持ちこまれ、2025年4月、スイス連邦行政裁判所は生産者団体の訴えを認める判決を出しました。きれいすぎる牛乳に、あえて干し草を足す。穴あきチーズの姿を守るのも、なかなか大変なのです。