ポテトチップスの誕生秘話は本当?
有名な逸話は後世の脚色とみられ、似たレシピは1853年より前からありました。
袋を開けると、ふわりと漂う油と塩の香り。一枚つまめば、もう止まりません。そんなポテトチップスには、世界中で語られている有名な誕生物語があります。
舞台は1853年、アメリカ・ニューヨーク州の保養地サラトガ・スプリングス。ある客がフライドポテトを「厚すぎる」と何度も突き返し、怒った料理人が、フォークで刺せないほど薄く切って揚げて出したところ、これが大好評。ポテトチップスが生まれた、というお話です。痛快で、よくできた物語ですが、どこまでが本当なのでしょう。
怒れるシェフの「仕返し」伝説
物語の主人公とされるのは、サラトガ湖のほとりにあったレストラン「ムーンズ・レイク・ハウス」の料理人、ジョージ・クラムです。本名はジョージ・スペックといい、腕の立つ料理人として地元では知られた人物でした。のちには自分のレストランも開いています。
物語によれば、クラムは仕返しのつもりで、じゃがいもを向こうが透けるほど薄く切ってからりと揚げ、塩をたっぷり振って出しました。ところが客は意外にも大喜び。ほかの客も同じものを注文するようになり、店の名物になった、と話は続きます。
語り継がれるうちに、話には尾ひれがついていきました。文句を言った客は大富豪コーネリアス・ヴァンダービルトだった、という具合です。けれども、こうした細部を当時の記録で裏づけることはできず、後から加えられた脚色だと考えられています。
1853年より前のレシピ
物語に決定的な疑問を投げかけるのが、古い料理書です。1817年、イギリスの料理研究家ウィリアム・キッチナーが出版した料理書『クックス・オラクル』には、すでに薄切りのじゃがいもを揚げる料理が登場します。1822年の版には、じゃがいもを「レモンの皮をむくように、ぐるぐると薄く削り」、布で水気をよくふいてラードで揚げる、という作り方が書かれています。これはもう、ほとんどポテトチップスです。ちなみにイギリスでは、こうした薄い揚げじゃがいもはいまも「クリスプス」と呼ばれ、「チップス」といえば棒状のフライドポテトのことを指します。
このレシピは大西洋を渡り、1824年にアメリカで出版されたメアリー・ランドルフの料理書『ヴァージニアの主婦』にも、キッチナーの名を挙げて紹介されています。つまり、1853年の時点で、薄く切ったじゃがいもを揚げるという発想そのものは、すでに知られていたことになります。
本当の主役は誰だったのか
さらにややこしいことに、サラトガでの「発明者」にも複数の候補がいます。クラムの姉妹で、同じ店で働いていたケイト・ウィックスこそが考案者だとする説があり、研究者のなかにはこちらの主張のほうが有力だと見る人もいます。
クラムを発明者とする劇的な物語が広く語られるようになったのは、1853年から何十年もたってからのことでした。
しかも、クラム自身が「自分が発明した」と語った記録は見つかっていません。ケイトが1924年に亡くなった際には、地元紙の追悼記事に「有名なサラトガ・チップスを最初に考案して揚げた」と書かれたと伝えられています。
それでも、サラトガがポテトチップスの歴史と無関係というわけではありません。19世紀後半、この保養地の名物として「サラトガ・チップス」の名が広く知られるようになり、薄切りの揚げじゃがいもはアメリカ各地へ広まっていきました。発明の地ではなかったとしても、人気の火付け役になった可能性は十分にあります。
逸話というものは、伝わるたびに角が取れ、わかりやすい悪役と主人公を得て、少しずつ面白くなっていきます。ポテトチップスの誕生秘話は、その見本のような話なのかもしれません。