フェルメールの青は何から作られた?
アフガニスタン産の宝石ラピスラズリを砕いた顔料「ウルトラマリン」。ときに金ほど高価でした。
台所の窓から差し込む光の中で、女性が静かに牛乳を注いでいる。オランダの画家ヨハネス・フェルメールが1658年ごろに描いた『牛乳を注ぐ女』では、女性の青いエプロンが、ひときわ鮮やかに目に飛び込んできます。
フェルメールの絵を彩るこの深い青は、日本では「フェルメール・ブルー」とも呼ばれて親しまれています。その正体は、ウルトラマリンという絵の具です。そしてそのもとをたどると、1枚の絵が描かれたオランダから遠く離れた、中央アジアの山奥にたどり着きます。
「海の向こう」から来た青
ウルトラマリンの原料は、ラピスラズリという青い石です。17世紀のヨーロッパで使われたラピスラズリの産地は、事実上ひとつしかありませんでした。いまのアフガニスタン北東部、バダフシャン地方の山中にある、サレサン付近の鉱山です。
この石は、陸と海をつなぐ長い道のりを経て、ヨーロッパへ運ばれました。「ウルトラマリン」という名前は、ラテン語で「海の向こうの」という意味の言葉から来ています。遠い異国から船で運ばれてきた青、というわけです。
ラピスラズリが絵の具として使われた最も古い例のひとつは、6〜7世紀ごろのアフガニスタンの仏教石窟の壁画で、有名なバーミヤン遺跡の近くとされています。
砕くだけでは、青くならない
ラピスラズリは、ただ砕いて粉にしても、くすんだ灰色がかった青にしかなりません。石の中には、青いラズライトのほかに、白い方解石などがたくさん混じっているからです。
そこで、手間のかかる精製が行われました。15世紀イタリアの画家チェンニーノ・チェンニーニが書き残した方法では、砕いた石の粉を、ろう、樹脂、油と練り合わせて団子にし、木の灰から作った薄いアルカリ液の中でもみほぐします。すると、青い粒だけが液の中に流れ出てくるのです。最初に取り出される粒ほど青が濃く、質が高いとされました。
大量の石から、ほんのわずかしか取れない純粋な青。ウルトラマリンは、ヨーロッパではときに金と同じくらいの価値があったといわれるほど、高価な絵の具でした。
影の中にまで使った画家
そんな高価な絵の具を、フェルメールは惜しみなく使いました。『牛乳を注ぐ女』のエプロンには、明暗をすばやく描き分けた下塗りの上に、透き通ったウルトラマリンの層が厚く重ねられています。ステンドグラスのように光を通すこの塗り方が、あの深い輝きを生み出しています。『手紙を読む青衣の女』の青い上着にも、やはりウルトラマリンが使われています。
それだけではありません。フェルメールは、白い布の影の部分や、『ワイングラス』という作品では女性の赤みがかったドレスの影にまで、ウルトラマリンを混ぜていました。青く見えない場所にまで、ひそかに使っていたのです。
もっとも、フェルメールの暮らしが豊かだったわけではありません。1675年に彼が亡くなったとき、残された妻は多額の借金を抱えていました。パン屋への未払いだけで617ギルダー余り、パン約3年分にもなり、妻は夫の絵2点をパン屋に引き渡しています。オランダがフランスとの戦争に巻き込まれた時期で、晩年のフェルメールは絵がまったく売れなかったと、妻は訴えています。
人工のウルトラマリンの誕生
この高価な青が身近になったのは、19世紀のことです。1824年、フランスの産業奨励協会が、ウルトラマリンを人工的に作った人に6000フランの賞金を出すと発表しました。1826年にフランスのジャン=バティスト・ギメが製法を見つけ、1828年にはドイツのクリスティアン・グメリンも別に方法を発表しています。
いま絵の具売り場で売られている「ウルトラマリン」は、ほとんどがこの人工の顔料です。ラピスラズリから作る天然のウルトラマリンは、いまでは特別な用途でしか使われない、ぜいたくな絵の具になりました。