「ハッピーバースデー」の歌は誰が作った?
メロディーは、アメリカの幼稚園の先生だったヒル姉妹が作った朝のあいさつの歌です。
1893年
ろうそくの火が揺れるケーキを囲んで、みんなで歌う「ハッピーバースデー・トゥ・ユー」。世界中で、さまざまな言語で歌われ、英語の歌としては最もよく知られた曲のひとつとしてギネス世界記録に紹介されたこともあります。
あまりに当たり前に歌われているので、昔から自然に伝わってきた民謡のように思えるかもしれません。けれども、この歌のメロディーには、はっきりとした作者がいます。そして、その権利をめぐって、21世紀まで続く長い争いがありました。
幼稚園の朝のあいさつ
物語は19世紀末のアメリカ、ケンタッキー州ルイビルに始まります。ここで幼稚園の先生をしていたパティ・ヒルと、音楽の素養があった姉のミルドレッド・ヒルが、子どもたちのための歌を作っていました。
1893年、姉妹は幼稚園向けの歌集を出版します。そのなかに収められていたのが、朝、先生が子どもたちに歌いかけるあいさつの歌「グッド・モーニング・トゥ・オール」でした。一般に、作曲はミルドレッド、作詞はパティによるものとされています。子どもでも歌いやすいように、音域を狭く、くり返しの多い旋律にしたといわれます。
「おはよう」が「誕生日おめでとう」に
この旋律に、いつ、誰が誕生日を祝う言葉をのせたのかは、はっきりしていません。子どもたちが誕生会で替え歌として歌いはじめたのではないか、ともいわれています。いずれにしても、1912年には誕生日の歌詞とこの旋律の組み合わせが印刷物に登場し、歌は急速に広まっていきました。
1930年代になると、この歌は舞台や映画でも使われるようになります。そうしたなか、1935年には姉妹の歌集を出した出版社が、誕生日の歌詞を添えたピアノ編曲の楽譜などを著作権登録しました。のちに、これが「この歌の著作権」の根拠とされていきます。
なお、似たような旋律の歌は19世紀半ばからいくつか存在していたことも指摘されており、メロディーがまったくのゼロから生まれたのかどうかには議論もあります。
21世紀まで続いた著作権争い
その後、出版社の権利は何度か売買され、1988年には大手音楽出版社のワーナー・チャペルがこれを手に入れます。ワーナーは映画やテレビ、広告でこの歌が使われるたびに使用料を求め、その収入は年間約200万ドルにのぼったともいわれます。映画のなかで誕生日の場面があっても、この歌を避けて別の歌を使う作品が少なくなかったのはそのためです。
流れが変わったのは2013年のことです。この歌の歴史を描くドキュメンタリー映画を制作していた監督が、劇中で歌を使うために1500ドルの使用料を求められたことに疑問を持ち、ワーナーを相手に訴訟を起こしました。
2015年9月、アメリカの連邦地方裁判所は、ワーナー側が誕生日の歌詞の著作権を持っているとは認められない、という判断を下します。1935年の登録が及ぶのは特定の編曲などに限られ、歌詞そのものの権利が受け継がれた証拠はない、とされたのです。翌2016年、ワーナーは過去に集めた使用料のうち1400万ドルを返還することで和解し、裁判所の承認を経て、この歌はアメリカで誰もが自由に使えるパブリックドメインになりました。ヨーロッパ連合の国々でも、2017年1月に保護期間が終わっています。
誰のものでもない歌へ
ミルドレッドは1916年に、パティは1946年に亡くなりました。姉妹は、自分たちの作った小さなあいさつの歌が、やがて世界でいちばん歌われる誕生日の歌になり、法廷で争われることになるとは想像もしていなかったでしょう。
いまでは、誕生日の歌を心配なく歌い、映画やインターネットの動画で使うこともできます。幼稚園の教室から生まれた歌が、長い回り道を経て、ようやくみんなのものになったのです。