「蛍の光」の元の歌は?
スコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」です。歌詞は詩人バーンズが整えました。
1788年
卒業式で歌われる「蛍の光」。大みそかの紅白歌合戦のフィナーレや、閉店間際のスーパーでも、おなじみのメロディーが流れてきます。日本では、すっかり「別れの歌」として定着しています。
この曲がもとは外国の歌だということは、わりあいよく知られています。けれども、元の歌がどんな内容で、海の向こうでどんな場面に歌われているのかまで知っている人は、それほど多くないかもしれません。
旧友と杯を交わす歌
原曲は、スコットランドの「オールド・ラング・サイン」です。題名はスコットランド語で、英語に直訳すれば「old long since」。「過ぎ去った昔」や「懐かしい昔のために」といった意味になります。
歌詞を現在の形にしたのは、スコットランドの国民的詩人ロバート・バーンズ(1759〜1796年)です。バーンズは1788年、この歌を、スコットランドの歌を集めた曲集『スコッツ・ミュージカル・ミュージアム』に送りました。そのとき彼は、昔から伝わる古い歌を、ある老人から聞き取って書き留めたものだと添えています。ただし実際には、古い歌を下敷きにしながら、バーンズ自身が大部分を書き直したと考えられています。
歌の内容は、久しぶりに再会した旧友と、子どものころの思い出を語り合い、親愛の杯を酌み交わすというものです。別れの歌というより、むしろ再会と友情の歌なのです。
年越しの歌として
旋律の作曲者はわかっていません。いま歌われているメロディーが楽譜に現れるのは1799年、ジョージ・トムソンの曲集が最初とされ、それ以前は別の旋律で歌われていたといいます。ちなみにこの旋律は5つの音だけでできた五音音階で、日本でいう「ヨナ抜き音階」と同じ音の並びです。
スコットランドでは、この歌は大みそかの祭り「ホグマネイ」で歌われる定番になりました。いまではイギリスやアメリカなど英語圏の多くの国で、新年を迎えた瞬間に歌われています。年が改まるそのときに、古い友を思い出して乾杯する。それがこの歌の本来の出番なのです。
明治の教科書へ
日本にこの曲がやってきたのは、明治時代のことです。1881年(明治14年)、小学校で歌うための教科書『小学唱歌集』初編が編まれたとき、この旋律に稲垣千頴(ちかい)の日本語の歌詞がつけられ、「蛍」という題で収められました。
歌い出しは、中国の故事「蛍雪の功」にちなんでいます。貧しくて灯りの油が買えず、蛍の光や、窓の外に積もった雪の明かりで書物を読んだ人々が、のちに出世したという話です。学問に励んだ日々を振り返り、仲間と別れて旅立つ。日本語の歌詞は、原曲の「再会」ではなく「別れ」を歌うものになりました。
その後「蛍の光」は卒業式の歌として全国に広まり、太平洋戦争中に英米の音楽が遠ざけられた時代にも、日本の歌になじんでいるとして歌い続けられたといいます。
閉店の音楽は「別れのワルツ」
ところで、閉店間際のお店に流れる「蛍の光」をよく聴いてみると、卒業式で歌うものとはリズムが違うことに気づきます。原曲は4拍子ですが、閉店のときに流れる曲の多くは、3拍子のワルツに編曲された「別れのワルツ」だといわれます。
この3拍子版が最初に登場したのは、1940年のアメリカ映画『哀愁』でした。主人公の二人がナイトクラブで踊る場面に流れ、日本では1949年に公開されて評判を呼びます。レコード会社はこの曲を発売しようとしましたが、手元に音源がありませんでした。そこで、作曲家の古関裕而が採譜と編曲を引き受け、「ユージン・コスマン管弦楽団」の演奏としてレコードが発売されます。ところが、ユージン・コスマンという人物は実在せず、古関裕而の名前をもじった架空の名前でした。洋楽のレコードとして売り出されたため、多くの人が外国の演奏だと思い込んでいたのです。
再会を祝うスコットランドの歌は、明治の唱歌を経て、ハリウッド映画のワルツとして、日本のお店の閉店時間にまでたどり着きました。