「考える人」は何を考えている?
もとは『神曲』を構想する詩人ダンテとされ、地獄の門の上から人間の運命を見つめていました。
岩に腰かけ、背を丸め、右手にあごをのせて、じっと動かない。オーギュスト・ロダンの「考える人」は、考えごとのポーズの代名詞として、漫画やCMで数えきれないほどまねされてきました。
難しい哲学の問題を考えているようにも、今日の夕飯に悩んでいるようにも見えるこの男。いったい何を考えているのでしょうか。その答えを探るには、彼がもともと座っていた場所を知る必要があります。
「地獄の門」のてっぺんで
1880年、フランス政府はロダンに、パリに建設予定の装飾美術館の入り口を飾るブロンズの扉を注文しました。ロダンが題材に選んだのは、14世紀のイタリアの詩人ダンテ・アリギエーリの叙事詩『神曲』のうち、地獄をめぐる「地獄篇」でした。こうして構想されたのが『地獄の門』です。
門の表面には、苦しみもだえる人々の姿が180体ほども刻まれていきます。そして扉の真上、門全体を見下ろす場所に置かれたのが、高さ70センチあまりの座った男の像でした。ロダンはこの像を「詩人」と呼んでいました。
彼はダンテだった
この「詩人」こそ、『神曲』の作者ダンテ自身だと考えられています。門の上に座り、眼下に広がる地獄の光景、つまり罪を犯し罰を受ける人々の姿を見つめながら、自らの詩を構想している。それが、もともとの「考える人」の姿でした。
ただし、ロダンはこの像を、歴史上のダンテの肖像としては作りませんでした。ダンテといえば、長い衣をまとったやせた姿で描かれるのが一般的です。ところがロダンの像は、筋骨たくましい裸の男です。ロダンはのちに、最初はダンテを思い描いていたものの、やがて岩の上で思索にふける裸の男を構想し、その頭のなかでゆっくりと思考が形をなしていく、もはや夢見る人ではなく創造する人なのだ、という趣旨のことを語っています。
つまりこの像は、特定の誰かであると同時に、考え、生み出そうとする人間そのものを表すものへと変わっていったのです。
名付け親は鋳造職人?
「考える人」という名前は、ロダン自身がつけたものではなかったといわれています。像を鋳造した工房の職人たちが、ミケランジェロがフィレンツェで制作したロレンツォ・デ・メディチの像に似ていると考え、その像の愛称にちなんで呼びはじめたのがきっかけとされます。
その後、ロダンはこの像を門から独立させ、1902年ごろから高さ180センチを超える大きさに拡大しました。1904年にパリのサロンで発表されると大きな反響を呼び、市民の寄付によって鋳造された1体が、パリのパンテオンの前に置かれます。この像は1922年にロダン美術館へ移され、いまも庭で多くの人を迎えています。
まねすると意外につらいポーズ
実際にこのポーズをまねしてみると、思った以上に窮屈なことに気づきます。像の右ひじは、右のひざではなく、左の太ももの上にのっているのです。上半身を大きくひねり、全身の筋肉に力を込めなければ、この姿勢は保てません。
くつろいで考えごとをしているのではなく、体じゅうを緊張させて、必死に何かを生み出そうとしている。そう思って見ると、静かな像から、ぐっと熱がにじみ出てくるように感じられます。
一方、『地獄の門』のほうは、注文した美術館の計画が立ち消えになったこともあり、ロダンの生前にはブロンズで鋳造されませんでした。ロダンは亡くなる1917年まで、30年以上にわたって手を入れ続けたとされています。東京・上野の国立西洋美術館の前庭では、この『地獄の門』と、拡大版の「考える人」を見ることができます。