ピカソの本名はとても長い?
本当です。洗礼名には聖人や親族の名前がいくつも連なっています。「ピカソ」は母方の姓です。
パブロ・ピカソ。あるいは、ただ「ピカソ」。20世紀でもっとも有名な画家の名前は、短く、歯切れがよく、一度聞いたら忘れません。キャンバスの隅に書かれた「Picasso」のサインは、それだけで絵の価値を何倍にもするほどの力を持っています。
ところが、彼が生まれたときに授けられた名前は、それとは似ても似つかないほど長いものでした。しかも「ピカソ」は、父親の姓ですらなかったのです。
教会の記録に残る長い名前
ピカソは1881年10月25日、スペイン南部の港町マラガで生まれました。父ホセ・ルイス・イ・ブラスコは絵の教師、母はマリア・ピカソ・イ・ロペスです。同じ年の11月10日、パブロは近くのサンティアゴ教会で洗礼を受けました。
ピカソの作品総目録などで紹介されている形では、このとき彼に授けられた名前は次のとおりです。
パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・フアン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード
これに父と母の姓が続いて、「ルイス・イ・ピカソ」。すべてを通して書くと、区切りの点を含めてカタカナで80文字を超えます。
ただし、この名前は資料によって少しずつ違います。出生届と洗礼の記録とで表記が異なるうえ、「シプリアーノ」の部分が「クリスピニアーノ」や「クリスピン・クリスピニアーノ」となっている資料もあります。どれが「正しい本名」なのか、実ははっきりしないのです。
名前に込められた人々
長い名前は、でたらめに並べられたわけではありません。当時のスペインのカトリックの家庭では、子どもに聖人や家族、名付け親の名前を重ねて授けることがよくありました。
たとえば「ディエゴ」は父方の祖父、「フランシスコ・デ・パウラ」は母方の祖父の名前にちなむとされます。「フアン・ネポムセーノ」と「マリア・デ・ロス・レメディオス」は、洗礼に立ち会った代父と代母の名前です。最後の「デ・ラ・サンティシマ・トリニダード」は「至聖なる三位一体の」という意味です。
「クリスピン」や「クリスピニアーノ」が出てくるのにも理由があります。ピカソの誕生日である10月25日は、カトリックの暦で聖クリスピヌスと聖クリスピニアヌスという兄弟の聖人の祝日なのです。生まれた日の聖人の名前を入れるのは、よくある習慣でした。
「ルイス」ではなく「ピカソ」を選んだ
スペインでは、父方の姓と母方の姓を両方名乗るのが一般的です。ピカソの場合、父方の姓が「ルイス」、母方の姓が「ピカソ」。本来なら、パブロ・ルイスと呼ばれるのが自然でした。
実際、若いころの彼は「パブロ・ルイス・ピカソ」と署名していました。1898年ごろからはこの形で絵にサインをし、やがて「パブロ・R・ピカソ」と父の姓を頭文字だけに縮め、1901年ごろからは「ピカソ」とだけ書くようになります。1901年といえば、彼がパリの画商ヴォラールの画廊で展覧会を開き、のちに「青の時代」と呼ばれる作品を描き始めた年です。画家として世に出ていくその時期に、名前も短く生まれ変わったのです。
きっかけのひとつは、バルセロナで知り合ったカタルーニャの友人たちが、彼をいつも母方の姓で呼んでいたことだとされます。「ルイス」はスペインではごくありふれた姓ですが、「ピカソ」はずっと珍しい姓でした。父親との不仲が理由だったわけではなく、ほかの誰とも違う自分を印象づけたいという気持ちがあったと考えられています。
こうして、長い洗礼名を持つ少年パブロ・ルイスは、ただ「ピカソ」という3文字の画家として、世界に名を知られることになりました。