ゴッホの「ひまわり」は何枚ある?
花瓶に生けたひまわりは7点描かれ、現存するのは6点。パリ時代にも切り花の作品が4点あります。
7点
黄色い背景に、黄色い花瓶、そこに生けられた黄色いひまわり。フィンセント・ファン・ゴッホの『ひまわり』は、画家の名前とともに真っ先に思い浮かぶ作品でしょう。
ところが、ロンドンのナショナル・ギャラリーにも、アムステルダムのファン・ゴッホ美術館にも、東京のSOMPO美術館にも、よく似た『ひまわり』があります。『ひまわり』は1枚の絵の名前ではなく、ゴッホが何度も描いたシリーズの名前なのです。では、いったい何枚あるのでしょうか。
パリで描いた「横たわるひまわり」
ゴッホが最初にひまわりを集中的に描いたのは、パリで暮らしていた1887年のことです。このときのひまわりは花瓶に生けられておらず、切り取られた花が、テーブルの上に横たわるように描かれています。しおれかけた花びらや、種がぎっしり詰まった花の中心がクローズアップされ、のちの明るい『ひまわり』とはずいぶん印象が違います。
このパリ時代のひまわりの絵は、主なもので4点が知られています。現在はニューヨークのメトロポリタン美術館、スイスのベルン美術館、オランダのクレラー=ミュラー美術館、そしてファン・ゴッホ美術館に所蔵されています。のちに共同生活を送る画家ゴーギャンは、このうちの2点を手に入れていました。
アルルで描いた4点、そして3点
私たちがよく知る花瓶のひまわりが生まれたのは、南フランスのアルルです。1888年の夏、ゴッホはゴーギャンを迎える準備をしていました。二人で暮らす「黄色い家」の、ゴーギャンの部屋を飾るために描きはじめたのが、ひまわりの連作でした。ゴッホは弟テオへの手紙で、マルセイユの人がブイヤベースを食べるような勢いで描いている、と書いています。
この1888年8月に描かれたのが、次の4点です。
1点目は、ターコイズ色の背景に3本のひまわり。現在はアメリカの個人が所蔵しています。2点目は、濃い青の背景に5本のひまわり。3点目は、青緑の背景に12本で、ミュンヘンのノイエ・ピナコテークにあります。そして4点目が、黄色い背景に15本のひまわりを描いた、ロンドンのナショナル・ギャラリーの作品です。
さらにゴッホは、1888年12月から翌1889年1月にかけて、3点目と4点目をもとにした「繰り返し」の作品を3点描きました。12本の作品をもとにした1点はフィラデルフィア美術館に、15本の作品をもとにした2点は、ファン・ゴッホ美術館とSOMPO美術館に所蔵されています。
ゴッホは、ひまわりを単独の作品としてだけ考えていたわけではありませんでした。1889年1月の手紙では、子守歌をうたう女性を描いた肖像画『子守女(ラ・ベルスーズ)』の両側にひまわりの絵を並べ、「たいまつか燭台」のように飾る構想を語っています。ひまわりは、部屋全体を飾る装飾の一部としても思い描かれていたのです。
こうして、花瓶に生けたひまわりは全部で7点。ところが、いま実物を見ることができるのは、そのうちの6点だけです。
芦屋で焼けた「幻のひまわり」
失われた1点は、2点目の、濃い青の背景に5本のひまわりを描いた作品です。この絵は、じつは日本にありました。
1920年ごろ、実業家の山本顧彌太(こやた)が、武者小路実篤ら白樺派の文学者たちが構想していた美術館のために、この絵を購入したのです。しかし美術館の計画は実現せず、絵は兵庫県芦屋市の山本の自宅で保管されることになりました。
そして1945年8月6日、アメリカ軍の空襲で山本邸は焼け、絵も失われてしまいます。広島に原爆が投下されたのと同じ日のことでした。この作品はいまも「芦屋のひまわり」と呼ばれ、残された写真によってその姿が伝えられています。