「第九の呪い」とは?
交響曲第9番を書いた作曲家は、10番を完成させられずに死ぬという迷信。偶然が重なって生まれた話です。
クラシック音楽の世界には、「第九の呪い」と呼ばれる言い伝えがあります。交響曲を9番まで書いた作曲家は、10番を完成させることなくこの世を去る、というものです。
始まりはベートーヴェンでした。1827年に亡くなったとき、彼は『第九』を書き上げたあとで、10番目の交響曲はスケッチを残しただけでした。その後も、9番目で人生を終えた作曲家が続いたことから、いつしか「9番は呪われている」とささやかれるようになったのです。
呪いを本気で恐れたマーラー
この言い伝えを広く知らしめたのは、オーストリアの作曲家グスタフ・マーラーです。
8曲の交響曲を書き上げたマーラーは、1908年から1909年にかけて、独唱と管弦楽のための大作『大地の歌』を作曲しました。中国・唐の詩人、李白らの詩をドイツ語に訳したものを歌詞にした作品で、実質的には交響曲といってよい内容です。ところがマーラーは、これに番号を付けず、「テノールとアルト(またはバリトン)とオーケストラのための交響曲」という副題にとどめました。9番目の交響曲と名乗れば、自分も死んでしまうと恐れたためだといわれています。
その次に書いた交響曲に、マーラーは「第9番」と名付けました。実際には10曲目にあたるのだから、もう大丈夫だと考えたのかもしれません。続けて第10番に取りかかりましたが、第1楽章がほぼ仕上がったところで病に倒れ、1911年5月18日、50歳で亡くなりました。第9番も『大地の歌』も、本人は初演を聴くことができませんでした。
残された第10番は、5つの楽章からなる構想が、かなり具体的なスケッチとして残っていました。のちにイギリスの音楽学者デリック・クックらが、スケッチの空白を埋めてオーケストラの響きを補い、演奏できる形にまとめています。いまでは、マーラーの「第10番」が全曲で演奏されることもあるのです。
「9番は限界なのだ」
マーラーを敬愛していた作曲家アルノルト・シェーンベルクは、1912年、マーラーをしのぶ講演の中で、次のように語っています。
9番は限界であるように思われる。それを越えようとする者は、去らねばならない。第9番を書いた者たちは、あの世にあまりにも近づきすぎたのだ。
この言葉が、「第九の呪い」を印象深いものにしました。
当てはまる人、当てはまらない人
たしかに、例とされる作曲家はほかにもいます。オーストリアのアントン・ブルックナーは、交響曲第9番の第4楽章を書いている途中、1896年に亡くなりました。イギリスのレイフ・ヴォーン・ウィリアムズは、1958年4月に第9番が初演された4か月後に世を去っています。
けれども、よく見ると数え方はあやふやです。ブルックナーには番号の付いていない交響曲がほかに2曲あり、それを含めれば11曲書いています。ドヴォルザークの『新世界より』は、いまでこそ第9番ですが、生前に知られていた交響曲は5曲だけで、最初の出版時には「第5番」でした。シューベルトの大交響曲も、番号は資料によって7番、8番、9番とまちまちです。
そして、9曲を超えた作曲家も大勢います。ハイドンには番号付きの交響曲が104曲、モーツァルトには41曲あり、20世紀のショスタコーヴィチは15曲の交響曲を残しました。「第九の呪い」は、偉大な作曲家が晩年に大作を書き、そこで人生を終えたという偶然が、印象的に語り継がれてきたものといえそうです。