テニスの点数はなぜ15・30・40?
中世フランスの球技に由来しますが、時計の文字盤説など諸説あり決着していません。
テニスの試合を見ていると、審判のコールに首をかしげたくなります。1点取ると「フィフティーン」、2点目で「サーティ」、3点目は「フォーティ」。0点は「ラブ」と呼ばれ、40対40になると今度は「デュース」です。
1、2、3と数えれば済みそうなものを、なぜこんなに回りくどい数え方をするのでしょうか。しかも15、30と来たなら、次は45が自然なはずです。この奇妙な数字の並びは、テニスの歴史の奥深くにまでさかのぼる、なかなかの難問なのです。
600年近く前から数えていた
テニスの祖先は、中世のフランスで盛んになった「ジュ・ド・ポーム」という球技です。ポームは「手のひら」の意味で、はじめは素手やグローブでボールを打ち合っていました。のちにラケットが使われるようになり、修道院や貴族の館から広まっていきます。
15ずつ数える方式は、すでにこの時代に使われていました。1435年ごろ、フランスの詩人でもあった貴族シャルル・ドルレアンのバラードには、「quarante cinq(45)」という言葉が登場します。1522年のラテン語の文章にも「30で勝っている、45で勝っている」という一節が残っています。つまり、15・30・45という数え方は、少なくとも600年近く前から存在していたことになります。
ところが、その理由を書き残した人はいませんでした。由来についての説明が本に現れるのは16世紀半ば以降で、そのころにはすでに、なぜ15なのかがわからなくなっていたようです。
時計の文字盤説
よく知られているのが、時計の文字盤を使って得点を表していた、という説です。1点ごとに針を4分の1周、つまり15分ずつ進めて15、30、45とし、60で1ゲームが終わる。そして、あとで述べる「デュース」の仕組みを文字盤の中に収めるために、45が40に縮められた、というものです。
わかりやすい説ですが、弱点もあります。時計に分針が広く普及するのは17世紀の終わりごろからで、15世紀の人々が身近な文字盤で得点を数えていたとは考えにくいのです。ただし、14世紀には15分ごとに時を告げる大がかりな教会の時計も作られていたため、可能性を完全には否定できない、という見方もあります。
距離説と、60進法説
もうひとつは、コートの距離に由来するという説です。ジュ・ド・ポームでは、得点するたびにサーバーが前へ進み、その距離が15ピエ、さらに15ピエ、最後に10ピエで合計40ピエだった、というものです。けれども、中世のコートの広さは場所によってまちまちで、決まった寸法はなかったと考えられており、決定的な説明とはいえません。
より説得力があるとする見方もあるのが、60を区切りとする数え方との関係です。60進法は古くから時間や角度に使われ、中世ヨーロッパの貨幣の単位とも結びついていました。試合にお金を賭けることも多かったため、4回の得点で60になる仕組みが自然に選ばれたのではないか、という考え方です。
では、なぜ45が40になったのか。これについては、「キャラントサンク(45)」と言うのが長くて面倒なので、「キャラント(40)」と縮めて呼ぶようになった、という説明がよく知られています。
ラブとデュース
0点を表す「ラブ」にも、いくつかの説があります。数字の0が卵に似ていることから、フランス語で卵を意味する「ルフ」がなまったという説。何も賭けずに「好きで(for love)」プレーする、つまり「何もなし」を意味したという説などです。どれも決め手はありません。
「デュース」は、40対40になったあと、2点続けて取らなければゲームを取れない状態を指します。2点差が必要なことから、フランス語の「ドゥ(2)」に関係するとみられています。この「2点差がつくまで終わらない」という考え方は、セットにも当てはめられていました。2010年のウィンブルドンでは、ジョン・イズナーとニコラ・マユの試合の最終セットが70対68までもつれ、3日間にわたる11時間を超える大熱戦になりました。
600年前の数え方が、いまも世界中のコートで響いています。
いまでは、こうした終わらない試合を防ぐタイブレークが広く取り入れられています。それでも、15、30、40というコールだけは、中世から変わらずに受け継がれているのです。