野球の「ストライク」の語源は?
英語の strike(打つ)です。もとは打者が球を「打ちにいった」ことを指す言葉でした。
ピッチャーの投げた球が、ど真ん中を通過する。バッターはぴくりとも動かない。審判は右手を上げて「ストライク!」。野球を見ていれば何度も目にする場面です。
でも、英語の strike は「打つ」「たたく」という意味の言葉です。バットを振ってもいないのに「打つ」とはどういうことでしょうか。この小さな矛盾の中に、野球というスポーツが歩んできた歴史が隠れています。
打者は「ストライカー」だった
19世紀半ばのアメリカで形づくられた初期の野球では、打者のことを「ストライカー(打つ人)」と呼んでいました。そして「ストライク」とは、文字どおり打者が球を打ちにいくこと、つまりバットを振ることを指していました。
1845年にニューヨークのニッカーボッカー・クラブがまとめたルールには、「3度打ちにいって空振りし、最後の球が捕られたらアウト」という趣旨の決まりがあります。ここで数えられているのは、あくまで空振りの回数です。見送った球は、何球あっても数に入りませんでした。
当時の投手は、打者に打たせるために下手から球を投げるのが役目でした。打者は自分の好きな球が来るまで、いくらでも待つことができたのです。
見送りは「打ったことにする」
ところが、これでは困ったことが起きます。打者がわざと打たずに待ち続け、そのあいだに走者を進めたり、投手を疲れさせたりするようになったのです。試合はいつまでも終わりません。
そこで1858年、野球の団体の会合で新しいルールが採用されます。打者が試合を遅らせる目的などで、打てるはずの良い球を何度も見送った場合、審判は警告したうえで「1ストライク」を宣告できる。3つ宣告されたら、3回打ちにいって空振りしたのと同じように扱う、というものでした。
つまり、見逃しの「ストライク」は、「打つべき球だったのだから、打ちにいったものとみなす」という意味だったのです。バットを振らなくても「打った」ことにされる。英語の意味と食い違って見えるのは、このためです。最初は打者へのいわばペナルティでしたが、やがて審判が良い球を見送るたびにストライクを宣告するのが当たり前になっていきました。
ボール9つで一塁へ
投手に対しても、似たようなペナルティが生まれます。1863年には、打ちにくい球を投げ続ける投手に対して、審判が「ボール」を宣告するルールができました。
ただし、最初はなかなか一塁に歩かせてもらえませんでした。1870年代の終わりには、四球ならぬ「九球」、つまりボールが9つで一塁へ進むルールだったのです。その数は8つ、6つ、5つと少しずつ減っていき、1889年に現在と同じ4つに落ち着きました。
ストライクゾーンも、最初からあったわけではありません。打者が投手に「高めに」「低めに」と注文できた時代を経て、1887年に、膝から肩までという範囲がルールで定められます。「打者に打たせる」ための投球から、投手と打者が駆け引きをする勝負へ。ストライクとボールの数え方の変化は、野球そのものの変化でもありました。
子規が訳した野球のことば
野球が日本に伝わったのは明治時代の初めです。英語のまま使われていた野球の用語に日本語を当てた人物として知られるのが、俳人の正岡子規です。
子規は学生時代から野球に熱中し、1890年には幼名の「升(のぼる)」にちなんで「野球(のぼーる)」という雅号を使っています。ただし、「ベースボール」を「野球(やきゅう)」と訳したのは子規ではなく、のちの中馬庚(ちゅうまん・かなえ)だとされています。
子規は1896年、新聞『日本』に野球を紹介する文章を書き、その中で「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」といった訳語を示したとされます。いまも当たり前に使われている言葉です。一方で「ストライク」と「ボール」は、現在もカタカナのまま使われ続けています。2002年、子規はその功績から野球殿堂入りを果たしました。