力士はなぜ塩をまく?
相撲が神事に由来するため、土俵を清める意味で塩をまきます。
45kg
仕切りを終えた力士が塩かごに手を入れ、ひとつかみの塩を土俵に向かって投げ上げる。照明に照らされた白い粒が弧を描くと、館内からは歓声がわき起こります。大相撲の中継で、何度となく目にしてきた光景です。
あの塩は、何のためにまかれているのでしょうか。「けがをしたときの消毒のため」という話を聞いたことがある人もいるかもしれません。けれども、塩まきのいちばんの意味は、もっと古いところにあります。
土俵を清めるひとつかみ
相撲は、もともと神々に奉納する神事として行われてきたとされています。古くは神社の祭りで、豊作を占ったり、神に感謝を捧げたりするために相撲がとられました。その舞台となる場所は、神聖でなければなりません。そこで、土俵の邪気を払い、清めるために塩をまくようになったと考えられています。
塩で清めるという考え方は、相撲に限らず日本の暮らしに広く根づいています。お店の入り口に盛り塩を置いたり、葬儀から帰ったときに体に塩をふりかけたりするのも、その一例です。日本神話では、黄泉の国から戻ったイザナギが海の水で身を清めたとされ、これを塩による清めの起源と結びつけて説明することもあります。
力士の所作には、ほかにも清めにまつわるものがあります。土俵下で「力水」を受けて口をすすぎ、「力紙」で口元をぬぐうのも、身を清めるためとされています。塩まきは、こうした一連の儀式のなかで、土俵そのものを清める役目を担っているのです。
塩をまけるのは関取だけ
ただし、すべての力士が塩をまけるわけではありません。塩をまくのは原則として十両以上の「関取」で、幕下以下の取組では、時間に余裕があるときを除いて塩をまかずに進むのがふつうです。若い力士にとって、塩をまけるようになることは、ひとつの目標でもあるといいます。
関取の取組では、力士は土俵に上がってから何度か仕切りを繰り返し、そのたびに塩をまきます。この仕切りには制限時間があり、1928年1月場所、ラジオでの大相撲中継が始まるのに合わせて導入されました。現在の制限時間は、1950年9月場所から幕内が4分、十両が3分です。制限時間いっぱいになったことを告げられた最後の塩は、とりわけ気合いのこもった一投になります。
1日におよそ45キロ
ひとつかみずつとはいえ、まかれる塩の量はかなりのものです。東京の両国国技館で開かれる場所では、1日に約45キロ、15日間の1場所でおよそ650キロの塩が用意されるといわれています。土俵の脇に置かれた竹のかごには、1杯あたり約5キロの塩が盛られ、なくなるたびに補充されます。
東京場所で使われているのは、愛媛県の伯方塩業がつくる「伯方の塩」で、1987年5月場所から使われているとされます。粒が大きく、にがりを含んでしっとりしているため、手でつかみやすく、遠くまで豪快にまけるのだそうです。
「けがの消毒」説と、名物の大塩
冒頭の「消毒のため」という説はどうでしょうか。土俵で転んで擦りむいたとき、塩が傷口の殺菌に役立つ、という説明は今もよく聞かれます。ただ、塩まきの起源はあくまで清めにあり、殺菌の話は後から付け加えられた理屈だとみる見方が一般的です。
一方で、塩まきは見せ場にもなってきました。元関脇の水戸泉は、1回に600グラムほどの塩を豪快にまくことで知られ、大相撲のロンドン公演では「ソルトシェーカー」と紹介されたといいます。引退した水戸泉からその塩まきを受け継いだとされるのが、北桜です。制限時間いっぱいに大量の塩をまく姿は、場内を大いに沸かせました。
神聖な場を清める儀式でありながら、観客を楽しませる見せ場でもある。ひとつかみの塩には、相撲という競技の二つの顔が重なっているのです。