食パンの「食」とは?
「主食用のパン」の略とする説が有力ですが、「消しパン」と区別したなど諸説あります。
340g
トースターでこんがり焼いて、バターを塗って。日本の朝ごはんの定番といえば食パンです。あまりに身近なので、その名前について考えることはめったにありません。
でも、よく考えると不思議な名前です。あんパンもメロンパンもカレーパンも、パンはみんな食べるためのものです。それなのに、なぜあの四角いパンだけが、わざわざ「食」のつくパンと呼ばれるのでしょうか。じつはこの「食」の意味については、はっきりした答えが出ていません。いくつかの説を順に見ていきましょう。
「主食用のパン」説
もっとも有力とされるのが、「主食用のパン」を縮めたものだという説です。パンの普及活動をしている業界団体、パン食普及協議会も、食パンという名前は明治の初めごろに山型のパンが売られた際、「主食用のパン」ということで名付けられたようだ、と説明しています。
明治時代の日本では、パンはまだ珍しい食べ物でした。日本人の間でまず人気になったのは、あんパンのような甘い「菓子パン」です。それに対して、外国人がふだんの食事でご飯のように食べる甘くないパンは、菓子パンと区別して呼ぶ必要がありました。こうして「食事用」「主食用」という意味の「食パン」が生まれた、という考え方です。
「食パン」は外国語を訳した言葉ではなく、日本で生まれた呼び名とされています。
「本食パン」説と「消しパン」説
ほかにも、いくつかの説があります。
ひとつは、「本食(ほんしょく)パン」が縮まったという説です。西洋料理の基本となる、いわば「本来の食事」のパンという意味で、昔のパン職人の間では本食パンという呼び方が使われていたといわれます。
もうひとつは、「消しパン」と区別するためだったという説です。明治時代に西洋式の美術教育が入ってくると、木炭などでデッサンをするときに、パンで線を消す方法も伝わりました。この消し具として使うパンを「消しパン」と呼んだのに対して、食べるためのパンを「食パン」と呼んだ、というものです。
どの説にも、それを決定づける資料は見つかっていません。ただ、「菓子パン」や「消しパン」など、ほかのパンと区別するために「食」をつけたという点では、どの説もよく似ています。
横浜で始まった山型のパン
日本の食パンの歴史は、幕末の横浜に始まるとされます。1862年、イギリス人のロバート・クラークが、横浜でパン屋「ヨコハマベーカリー」を開きました。クラークは本国から持ってきたホップを使うパン種で、イギリス式の山型のパンを焼いていたといいます。
この店で修業した打木彦太郎は、1888年に横浜の元町で自分の店を開きました。その店は今も「ウチキパン」として続いています。日本の食パンは、こうしたイギリス式の山型パンから始まったのです。
一方、今よく見かける四角い食パンは、ふたをした型で焼いて形を整えたものです。第二次世界大戦後には、占領軍の兵士の求めで、角型の食パンを8枚に切り分けて売るようになったといわれます。
「1斤」はもともとポンドだった
食パンには、もうひとつ不思議な言葉がついてまわります。「1斤(きん)」という数え方です。
「斤」は日本の昔の重さの単位で、1斤は600グラムでした。ところが、今の食パンの1斤はそれよりずっと軽く、業界のルールでは340グラム以上と決められています。
パン食普及協議会によると、明治時代の食パンはアメリカやイギリスから輸入した焼き型で作られ、焼き上がりが1ポンド(約453グラム)以上になる大きさだったと考えられています。このポンドを漢字で「听(きん)」と書いていたのが、同じ読みの「斤」と混同されるようになったというのです。つまり食パンの1斤は、日本の昔の単位の斤とは直接の関係がなく、もとをたどればイギリスやアメリカのポンドだったことになります。
「食」も「斤」も、明治の日本人が、海の向こうから来た新しい食べ物を自分たちの言葉で呼ぼうとした名残なのかもしれません。