納豆はいつから食べられている?
はっきりとはわかりません。糸引き納豆が文献で確かめられるのは室町時代からです。
パックのふたを開けて、たれを入れ、箸でぐるぐるとかき混ぜる。白い糸がふわりと立ち上がる様子は、日本の朝の風景のひとつです。好き嫌いがはっきり分かれる食べものですが、その歴史の長さについては、あまり知られていません。
「納豆はいつから食べられているのか」。この問いを調べはじめると、まず出会うのは歴史上の有名人が登場する、いくつもの伝説です。
武将の馬が生んだ? 納豆伝説
もっとも有名なのが、平安時代の武将・源義家、通称「八幡太郎」にまつわる話です。11世紀後半の後三年の役のさなか、義家の軍勢が農民から煮豆を集め、わらに包んで馬の背に載せて運んだところ、馬の体温で豆が温められ、数日後には糸を引くようになっていた、というものです。いまの秋田県横手市など、この伝説ゆかりの地とされる場所が各地にあります。
ほかにも、聖徳太子が馬の飼料の煮豆をわらに包んだのが始まりだという話など、納豆の起源伝説は日本中に散らばっています。どれも「煮た大豆」「わら」「温かさ」という、納豆ができる条件をきちんと押さえているのが面白いところです。ただし、いずれも裏づけとなる同時代の記録はなく、あくまで言い伝えとして楽しむのがよさそうです。
最初の「納豆」は糸を引かなかった
文献に「納豆」という言葉が現れるのは、11世紀の中ごろに藤原明衡が書いた『新猿楽記』が最も古いとされます。そこには「塩辛納豆」という食べものが登場します。ところがこれは、私たちの知る糸引き納豆とは別物でした。
塩辛納豆は、煮た大豆に麹をつけて発酵させ、塩水に漬けてから乾かしたもので、黒っぽく、しょっぱい味がします。糸は引きません。京都の大徳寺納豆や静岡の浜納豆などが、いまもこの系統の味を伝えています。こうした納豆は寺院で作られることが多く、寺の台所や倉庫にあたる「納所(なっしょ)」で作られたから「納豆」と呼ばれるようになった、という説もありますが、語源には諸説あります。
糸引き納豆であることがはっきりわかる最古の資料は、室町時代、15世紀ごろの御伽草子『精進魚類物語』です。野菜や豆などの精進物と、魚や鳥などのなまぐさ物が合戦をする物語で、精進方の武将として**「納豆太郎糸重」**という名前の人物が登場します。名前に「糸」が入っているのですから、この時代の納豆が糸を引いていたことは間違いなさそうです。
わらの中にいた名脇役
伝説がそろって「わら」を登場させるのには、ちゃんとした理由があります。稲わらには、もともと納豆菌がたくさんすみついているのです。
納豆菌は、枯草菌と呼ばれる細菌の仲間です。熱や乾燥に強い「芽胞」という休眠状態になることができ、わらを煮ても生き残ります。煮たわらで煮豆を包めば、ほかの雑菌はほとんど死んで、納豆菌だけが豆の上で増えていきます。昔の人は菌の存在を知らないまま、経験から理にかなった方法にたどり着いていたわけです。
この菌の正体が突き止められたのは、1905年のことです。農学者の沢村真が、市販の納豆から菌を分離して「バチルス・ナットー」と名づけました。その後、純粋な納豆菌を使って作る方法が広まり、わらに頼らない衛生的な製造ができるようになりました。経木や容器に入った納豆が全国に行きわたるのは、こうした研究のおかげです。
日本だけの食べものではない
糸を引く発酵大豆は、実は日本だけのものではありません。ネパールなどヒマラヤ地域の「キネマ」、タイ北部の「トゥアナオ」など、よく似た食べものがアジア各地にあります。
植物学者の中尾佐助は1972年、ジャワ島のテンペ、ヒマラヤのキネマ、日本の納豆を結ぶ「納豆の大三角形」という考えを発表し、その中心にあたる中国雲南省のあたりが納豆文化のふるさとではないかと推測しました。テンペはカビで発酵させる食品なので仲間とはいいきれませんが、納豆が海の向こうとつながる長い物語の一部である可能性は、いまも研究者の関心を集めています。