種なしブドウはどうやって作る?
もともと種ができにくい品種を使うか、房を植物ホルモンのジベレリン液に浸して種をできなくします。
1959年
夏になると店先に並ぶ、小粒のデラウェア。房ごと口に運んで、ちゅるんと実を吸い出しても、種が歯に当たることはありません。最近人気のシャインマスカットも、多くは種なしです。
でも、考えてみれば不思議です。植物にとって種は子孫を残すための大切なもの。種のない実は、どうやって生まれてくるのでしょうか。じつはその方法は大きく分けて2つあり、そのひとつは日本で生まれた技術なのです。
種がないと実が育たない
まず知っておきたいのは、ブドウの実にとって、種がただの「おまけ」ではないということです。実の中で育っていく種は、植物ホルモンを出して、まわりの果肉を大きく育てる役目を担っています。
そのため、ただ種ができないだけでは、実は十分に大きくなりません。種なしブドウをつくるには、「種をなくすこと」と「それでも実を大きくすること」の、両方をかなえる必要があるのです。
生まれつき種ができにくい品種
ひとつめの方法は、生まれつき種ができにくい品種を使うことです。
代表的なのが、アメリカで「トンプソン・シードレス」と呼ばれる品種です。かつてのオスマン帝国の領域、小アジアが原産と考えられていて、カリフォルニアではブドウ畑のおよそ3分の1を占め、2000年には同州の干しぶどうの約97%がこの品種からつくられていました。この品種では、受粉して実がつき始めても、種が途中で育つのをやめてしまうため、実の中には小さな種の名残しか残りません。
種ができないので、こうした品種は種をまいて増やすことができません。枝を切って挿し木や接ぎ木で増やしていきます。また、実を大きくするために、あとで紹介するジベレリンが使われることも多いといいます。
偶然見つかった「種なしデラ」
ふたつめの方法が、もともと種のある品種を、植物ホルモンの力で種なしにする方法です。主役は「ジベレリン」という物質で、その発見には日本人が深くかかわっています。
大正時代の終わり、日本統治下の台湾で、黒沢英一という研究者が、苗がひょろひょろと異常に伸びてしまう「ばか苗病」という稲の病気を調べていました。黒沢は1926年、病気の原因となるカビが出す物質に、植物を伸ばす働きがあることを突き止めます。この物質は1938年、東京帝国大学の藪田貞治郎らによって取り出されて「ジベレリン」と名づけられました。その後、ジベレリンはもともと植物の体の中にもある植物ホルモンだとわかります。
1950年代半ばに国内でジベレリンを工場でつくれるようになると、全国の試験場がさまざまな作物で利用法を試し始めました。ブドウのデラウェアもそのひとつです。最初のねらいは種なしではありませんでした。デラウェアは実がぎっしりと詰まって育つため、実が割れやすいのが悩みでした。ジベレリンで房の軸を伸ばせば、実どうしの押し合いを防げるのではないか、と考えたのです。
ところが1958年、山梨県の試験場などで、花が咲く前にジベレリンで処理した房から、偶然、種のない実が見つかりました。しかも熟すのが早くなります。研究の方針は種なしづくりへと切り替わりました。
2回のジベレリン浴
問題は、実が小さくなってしまうことでした。これを解決したのが、花が咲いたあとにもう一度処理する方法です。1959年7月17日、山梨県農事試験場の果樹分場で、ついに種なしのデラウェアが熟して収穫されました。研究を率いた岸光夫分場長は、のちにこの日を「生涯忘れることのできない日」と振り返っています。
現在の一般的な方法では、ジベレリンの水溶液をカップに入れ、そこにブドウの房を1つずつ浸します。1回目は満開になる予定日の約14日前で、種ができるのを妨げるため。2回目は満開から10日ほどあとで、実を大きくするためです。種のない実は、房をひとつひとつ人の手で液に浸すことで生まれているのです。
1960年、220ヘクタール分の種なしデラウェアが初めて出荷されると大人気となり、ふつうのデラウェアの倍の値段で取引されたといいます。1995年の記事によると、その時点で全国約6700ヘクタールのデラウェアがすべて種なしに替わっていました。品種によって種なしになりやすさは異なり、巨峰などはデラウェアより種なしにしにくいとされていますが、処理の時期や方法を品種ごとに工夫しながら、今ではさまざまな品種で種なしづくりが行われています。