イチョウは「生きた化石」?
はい。2億年以上前から続く系統で、仲間がすべて絶滅したなか、イチョウ1種だけが生き残っています。
1896年
秋の並木道を黄金色に染め、ぎんなんを実らせるイチョウ。学校や神社、街路樹として、日本ではどこにでもある身近な木です。
ところがこのイチョウ、植物学の世界ではとびきりの珍品として知られています。仲間がすべて姿を消したなかで、たった1種だけ生き残った「生きた化石」だからです。しかも、その体には、ふつうの樹木にはない驚きのしくみが隠されていました。
仲間を失った、ただ1種の生き残り
イチョウの仲間(イチョウ類)の歴史は古く、その起源は2億年以上前、恐竜が現れるより前の時代にまでさかのぼるとされています。恐竜が栄えた中生代には、さまざまな種類のイチョウの仲間が世界各地に広がっていました。現在のイチョウとよく似た葉の化石も、1億7000万年ほど前の地層から見つかっています。
ところが、その後イチョウの仲間は次々と姿を消していきました。今も生きているのは、私たちが知るイチョウ1種だけ。植物の分類では、イチョウはたった1種で独立した大きなグループ(イチョウ門)をつくっています。親戚がひとりも残っていない、天涯孤独の植物なのです。
大昔の生物の特徴を今に残し、近い仲間がほとんどいない生きものは「生きた化石」と呼ばれます。この言葉を最初に使ったのは、進化論で知られるチャールズ・ダーウィンだとされています。イチョウは、その代表例として必ずといっていいほど名前が挙がります。野生のイチョウは一時、絶滅したとも考えられていましたが、中国南西部の山地には、野生の生き残りかもしれない集団があるとされています。
画工が見つけた「泳ぐ精子」
イチョウを特別な存在にしているもうひとつの理由が、精子です。私たちが目にする花を咲かせる植物では、花粉は花粉管を伸ばして中の細胞を卵まで届けます。ところがイチョウでは、花粉の中から、自分で泳いで卵にたどり着く精子が出てくるのです。シダやコケのような古いタイプの植物に見られる特徴で、イチョウの古さを物語っています。
この精子を世界で初めて見つけたのは、日本人でした。福井出身の平瀬作五郎です。平瀬は研究者として雇われたのではなく、帝国大学(現在の東京大学)の理科大学で、植物の図を描く「画工」として働いていました。のちに技手となった平瀬は、東京・小石川植物園のイチョウの木から、ぎんなんのもとになる部分を集めては、こつこつと観察を続けます。
そして1896年9月、ついに花粉管の先から精子が飛び出し、活発に泳ぎ回る様子を目にしました。種子をつくる植物に精子があるという発見は、世界の植物学者を驚かせました。同じ1896年には、帝国大学の植物学者・池野成一郎も、ソテツで精子を発見しています。2人は1912年、そろって帝国学士院恩賜賞を受けました。平瀬が観察したイチョウは、今も小石川植物園に立っています。
原爆を生き延びたイチョウ
イチョウのしぶとさを物語るのが、広島の被爆樹木です。1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下されました。焼け野原となった爆心地から1〜2キロの範囲でも、何本ものイチョウが生き延びました。
広島市の東区にある安楽寺のイチョウは、爆心地から約2.2キロの場所で被爆しました。当時を知る人によると、イチョウはくすぶって白い煙を上げ、葉は1枚もなく、黒く焦げた枝が折れて落ちていたといいます。それでも翌年には芽を伸ばして生き返りました。のちに新しい山門を建てるとき、寺はこのイチョウを伐らず、屋根に大きな穴をあけて、幹がそこを突き抜けるように設計したそうです。
広島市には、爆心地からおおむね2キロ以内で被爆し、今も生きている木が159本登録されています(2025年4月時点)。イチョウは、そのなかでもよく知られた木のひとつです。