カルボナーラは炭焼き職人の料理?
炭焼き職人説に確かな裏づけはなく、レシピが記録に現れるのは1950年代から。起源は諸説あります。
卵黄とチーズがからみ合った、とろりと濃厚なソース。カリッと焼いた豚肉の塩気に、粗く挽いた黒こしょうの香り。カルボナーラは、日本でもすっかりおなじみのパスタです。ローマの郷土料理として知られ、何百年も前から食べられてきた伝統の味、というイメージを持っている人も多いでしょう。
ところが、この料理の来歴を調べてみると、思いのほか新しいことがわかってきます。そして名前の由来については、いまも決着がついていないのです。
「炭焼き風」という名前の謎
イタリア語で carbone は「炭」、carbonaro は「炭焼き職人」や「炭売り」を意味します。「スパゲッティ・アッラ・カルボナーラ」は、直訳すれば「炭焼き風スパゲッティ」です。
この名前から、もっともよく語られるのが炭焼き職人の料理という説です。アペニン山脈の森で何日も炭を焼く職人たちが、日持ちのする塩漬けの豚肉やチーズ、卵を持ち込んで作った、というものです。仕上げにふる黒こしょうが、炭の粉が散ったように見えるから、という説明が添えられることもあります。
ほかにも、19世紀のイタリア統一運動で活躍した秘密結社「カルボナリ(炭焼き党)」にちなむという説や、炭火で調理したからという説もあります。どれも名前の響きとよく合っていて魅力的ですが、残念ながら、昔の炭焼き職人がこの料理を食べていたことを示す記録は見つかっていません。
記録に現れるのは20世紀の半ば
文献をさかのぼると、「スパゲッティ・アッラ・カルボナーラ」という名前が最初に活字になったのは、1939年にオランダ領東インド(いまのインドネシア)で発行された新聞だとされます。ローマのトラステヴェレ地区にある料理店の名物として紹介されていますが、どんな料理なのかは書かれていません。
はっきりした手がかりが増えるのは、第二次世界大戦のあとです。1950年、イタリアの新聞「ラ・スタンパ」は、アメリカ軍の将校たちが何年も前からトラステヴェレの店でこの料理を探し求めている、と伝えました。
そして最古のレシピは、なんとイタリアではなく、1952年にアメリカのシカゴで出版された料理店ガイドに載っています。イタリアで初めてレシピが紹介されたのは、1954年の料理雑誌「ラ・クチーナ・イタリアーナ」でした。つまり、料理として記録がそろうのは、わずか70年ほど前のことなのです。
アメリカ兵の配給食から生まれた?
この「戦後に突然現れる」という事情から、有力視されているのが、連合国軍の兵士とのかかわりを指摘する説です。1944年6月、ローマは連合国軍によって解放されました。当時のアメリカ兵の配給食にはベーコンや粉末の卵が含まれていて、それを地元のパスタと組み合わせたのが始まりではないか、というのです。
1944年にアメリカ軍のための食事を作ったとき、この料理を考え出したと語ったイタリアの料理人、レナート・グァランディのような人物もいます。ただし、これも本人の証言にもとづく話で、決定的な証拠とはいえません。もともとローマにあった素朴な料理を、アメリカ兵が気に入って広めた、という可能性もあります。
面白いことに、1952年のシカゴのレシピを提供した店の主人ピエトロ・レンチョーニは、アイオワ州の炭鉱で働く移民の家に生まれた人物でした。そこから、炭鉱労働者の料理が「カルボナーラ」の名前のもとになったのでは、と考える人までいます。「炭」をめぐる説は、どこまでも尽きません。
「本場の作り方」もまだ新しい
いまローマで正統とされるカルボナーラは、豚のほお肉の塩漬け「グアンチャーレ」、羊乳のチーズ「ペコリーノ・ロマーノ」、卵、黒こしょうで作ります。生クリームは使わないのが本場流で、ソースを安定させやすいクリーム入りは、イタリアの外でよく見られる作り方です。
ところが、1954年にイタリアで初めて紹介されたレシピには、パンチェッタ(豚ばら肉の塩漬け)、にんにく、そしてスイスのグリュイエールチーズが使われていました。いまの「正統派」の材料が定着していくのは、1950年代の終わりから60年代にかけてのことと考えられています。伝統の味にも、ちゃんと歴史の新しいページがあるのです。