フォーチュンクッキーは日本生まれ?
ルーツは日本の「辻占煎餅」とみられています。アメリカに広めたのも日系移民でした。
アメリカの中華料理店で食事をすると、会計のときに小さな焼き菓子が添えられてきます。丸い生地を半分に折って、さらに曲げたような形。割ると中から、「あなたの努力はもうすぐ報われる」といった占いの言葉を書いた紙が出てきます。フォーチュンクッキーです。
アメリカでは「中華料理のデザート」としてすっかり定着していますが、中国本土ではほとんど見かけないといわれます。では、このクッキーはどこで生まれたのでしょうか。手がかりは、意外にも日本にありました。
稲荷大社の門前で焼かれる煎餅
京都の伏見稲荷大社の近くには、今も「辻占煎餅(つじうらせんべい)」を焼く店があります。小麦粉や砂糖に、みそやゴマを加えた生地を薄く焼き、熱いうちに折り曲げて、おみくじのような紙をはさみこんだ煎餅です。
形はフォーチュンクッキーにそっくりですが、違いもあります。アメリカのものより少し大きく、色は茶色っぽく、みそとゴマの香ばしさが特徴です。また、紙は中に閉じこめるのではなく、折り目にはさむのがふつうとされます。
「辻占」とは、もともと夕方に辻(十字路)に立ち、通りがかった人の言葉を聞いて吉凶を占うことでした。のちに、占いの文句を刷った紙そのものも辻占と呼ばれるようになり、江戸時代には辻占の紙を売り歩く人もいました。その紙を菓子に入れたのが辻占煎餅で、宴席や花街でのお楽しみとしても親しまれたといいます。
1878年の挿絵が手がかりに
フォーチュンクッキーの日本起源説を大きく後押ししたのが、研究者の中町泰子さんの調査です。中町さんは、1878年(明治11年)に出版された本の中に、煎餅屋で辻占煎餅を焼く見習い職人の姿を描いた挿絵を見つけました。アメリカでフォーチュンクッキーが登場するより、少なくとも30年ほど前のことです。
この研究は、2008年にアメリカのジャーナリスト、ジェニファー・8・リーさんがニューヨーク・タイムズで紹介したことで、広く知られるようになりました。リーさんは、アメリカの中華料理の歴史を追った著書の中でも、フォーチュンクッキーのルーツが日本にあることを詳しく書いています。
アメリカに渡した日系移民
では、煎餅はどうやって海を渡ったのでしょうか。カギを握るのは、明治時代にカリフォルニアへ渡った日本人移民たちです。
サンフランシスコのゴールデン・ゲート・パークには、日本庭園(ジャパニーズ・ティー・ガーデン)があります。この庭園を管理していた日系移民の萩原眞が、20世紀の初めごろ、訪れた客に占いの紙入りの煎餅を出したといわれています。焼いていたのは、サンフランシスコの日系の菓子店でした。ロサンゼルスの日系の菓子店も、自分たちこそ元祖だと名乗りをあげています。いずれにしても、日系の職人たちがアメリカ人の口に合うように味を変えていったことが、今のフォーチュンクッキーにつながったとみられています。
1910〜20年代には、日系人が経営する中華料理店も少なくありませんでした。当時のアメリカでは、日本料理より中華料理のほうがずっと身近だったからです。日系の菓子店がそうした店にクッキーを卸し、「中華料理店で出てくるお菓子」というイメージが育っていきました。
戦争が変えた「国籍」
フォーチュンクッキーが「中華料理のもの」になる決定的なきっかけは、第二次世界大戦でした。1942年、アメリカ政府は西海岸の日系人を強制収容所に送ります。日系の菓子店の多くが店を閉じざるをえなくなり、その空白を埋めるように、中国系の業者が大量生産を始めました。
戦後、フォーチュンクッキーは中華料理店の定番としてアメリカ全土に広がります。今では、世界で年に約30億個が作られ、その大半がアメリカで食べられているといわれます。ニューヨークのある工場だけで、1日に450万個以上を作っているそうです。
日本で生まれた辻占煎餅が、日系移民の手でアメリカに渡り、中国系の人々によって全米に広まる。小さなクッキーの中には、占いの言葉だけでなく、移民たちの歴史も折りこまれているのです。