聖火リレーは古代からあった?
いいえ。古代オリンピアに聖なる火はありましたが、リレーは1936年のベルリン大会が最初です。
3331人
オリンピックが近づくと、ギリシャのオリンピアで聖火が灯され、たくさんのランナーがトーチを手に開催地まで火をつないでいきます。古代ギリシャ風の衣装をまとった女性たちが、凹面鏡で太陽の光を集めて火をおこす採火式は、まるで何千年も前から続く儀式のように見えます。
けれども、聖火を人から人へとリレーで運ぶ習わしは、古代オリンピックにはありませんでした。始まったのは20世紀、それも、ある政治的な思惑が渦巻く大会でのことです。
古代のオリンピアにあった火
古代オリンピックは、ゼウスを祀る聖域オリンピアで行われた祭典でした。この聖域では、かまどの女神ヘスティアの祭壇で聖なる火が絶やさず燃やされ、祭典のあいだも灯され続けていたとされています。オリンピアに「聖なる火」があったこと自体は、たしかなのです。
一方、古代ギリシャには「ランパデドロミア」と呼ばれるたいまつ競走もありました。間隔をおいて立つ走者がたいまつを次々に受け渡し、火を消さずに最初にゴールへ届けたチームが勝ちになるという、まさにリレー形式の競技です。ただし、これはアテネなどの祭りで行われたもので、古代オリンピックの種目でも、オリンピアから火を運ぶ儀式でもありませんでした。
つまり、聖なる火とたいまつリレーは、どちらも古代ギリシャに存在したものの、両者が結びついていたわけではなかったのです。
1928年、アムステルダムに灯った炎
近代オリンピックで初めて聖火が登場したのは、1928年のアムステルダム大会です。建築家ヤン・ウィルスが設計した競技場の「マラソン塔」の上で、大会期間中、炎が燃やされました。ただ、これはオリンピアから運ばれた火ではなく、街のどこからでも大会の場所がわかる目印という意味合いが強かったといわれています。
ベルリン大会で生まれたリレー
聖火リレーを考え出したのは、1936年ベルリン大会の組織委員会で事務局長を務めたドイツのスポーツ指導者、カール・ディームでした。古代オリンピアから開催地まで火を運ぶことで、古代と近代のオリンピックを一本の線で結ぼう、という演出です。
1936年7月20日、オリンピアで凹面鏡を使って太陽光から火が採られました。火はギリシャから、ブルガリア、ユーゴスラビア、ハンガリー、オーストリア、チェコスロバキアを経てドイツへ。12日間にわたって約3187キロを、3331人のランナーがつなぎました。トーチはドイツの大企業クルップが製造し、採火用の鏡は光学機器メーカーのツァイスがつくったものでした。8月1日の開会式では、最終走者のフリッツ・シルゲンが火をスタジアムに運び込み、聖火台に点火しています。
この華やかな演出には、ナチス政権の思惑も重なっていました。古代ギリシャをドイツの先祖になぞらえ、国家の力を内外に誇示する狙いがあったとされています。リレーの様子は、映画監督レニ・リーフェンシュタールによって撮影され、1938年の記録映画『オリンピア』にも収められました。
戦後も受け継がれた「新しい伝統」
生まれた経緯には複雑な背景がありましたが、聖火リレーはその後の大会にも引き継がれ、オリンピックに欠かせない儀式になりました。現在の採火式は、オリンピアのヘラ神殿の前で、古代の巫女に扮した女性たち(通常は11人)が凹面鏡で太陽の光を集めて行います。
日本でオリンピックの聖火リレーが初めて行われたのは、1964年の東京大会です。最終走者を務めたのは、広島に原爆が投下された1945年8月6日に広島県で生まれた、当時19歳の陸上選手・坂井義則さんでした。戦後の復興と平和への願いを託された人選として、いまも語り継がれています。