ボウリングのピンはなぜ10本?
9本ピンの禁止逃れで1本足したという話が有名ですが、それ以前から10本の例もあります。
3697か所
レーンの先に、白いピンが三角形に並んでいます。前から1本、2本、3本、4本。合わせて10本です。重いボールを転がして全部を倒せばストライク、1本でも残れば悔しい思いをする。ボウリングの面白さは、この10本のピンと切っても切れません。
でも、なぜ10本なのでしょうか。調べてみると、「法律で禁止されたので、1本足して抜け道にした」という、なんとも人間くさい話が見つかります。ところが、その話には、どうやら続きがありそうなのです。
もとは「9本」の遊びだった
いまのボウリングのもとになったのは、ドイツで親しまれてきた「ケーゲルン」と呼ばれる遊びだとされています。使うピンは9本で、ひし形に並べるのが特徴でした。日本語では「九柱戯(きゅうちゅうぎ)」とも呼ばれます。芝の上で球を転がす上流階級のボウルズとは違い、町の人々が気軽に楽しむ庶民の娯楽でした。
この9本ピンの遊び、英語でいう「ナインピンズ」は、ヨーロッパからの移民とともにアメリカにも渡りました。1819年に発表されたワシントン・アーヴィングの短編『リップ・ヴァン・ウィンクル』には、山の中で不思議な男たちがナインピンズに興じ、その球の音が雷のように響く場面が描かれています。
「禁止されたから1本足した」
ところが19世紀のアメリカでは、ナインピンズが賭け事や犯罪と結びつけて見られるようになります。1841年、コネチカット州は賭博の温床になるとして、ナインピンズを法律で禁止しました。
そこで人々は、ピンを1本増やして10本にした。禁止されたのは「9本ピン」であって、10本なら法律に触れない――。これが、ボウリングのピンが10本になった理由として、よく語られる話です。似たような抜け道の話は、1838年にメリーランド州ボルチモアについて書かれた新聞記事や、1842年にアメリカを旅したイギリスの作家ディケンズが書き残したニューヨークの話にも登場します。
10本は、もっと前からあった
ただし、この話をそのまま「10本の起源」と受け取るのは早すぎるようです。イングランドのイプスウィッチを描いた1810年ごろの絵には、屋外で三角形に並べた10本のピンに向かって、球を転がす男性の姿が描かれています。アメリカでも、遅くとも1820年には新聞に「テンピン・アレー」の広告が出ていました。
つまり10本ピンの遊びは、コネチカット州の禁止令より何十年も前から存在していたことになります。禁止をきっかけに10本の遊びが広まった、という可能性はあっても、禁止逃れのために10本が「発明」されたとまではいえそうにありません。抜け道の話は、当時の人々がそう語っていた、という記録として受け止めるのがよさそうです。
その後、アメリカでは1895年にアメリカン・ボウリング・コングレスが結成され、ルールや用具の統一が進みました。三角形に並べた10本のピンという形が、こうして標準になっていきます。
当時、倒れたピンを並べ直すのは人の仕事でした。自動でピンを並べる機械は1936年に発明され、1952年にアメリカのAMF社が実用化して、ボウリング場の姿を大きく変えていきます。
日本のボウリングブーム
日本で最初のボウリング場は、1861年、長崎の外国人居留地に開かれたとされています。その開業日にちなんで、6月22日は「ボウリングの日」になりました。1952年には東京・青山に、日本初の本格的な商業施設として東京ボウリングセンターが誕生します。
大ブームが訪れたのは1970年前後です。女子プロボウラーの中山律子さんらの活躍もあって人気が沸騰し、1972年には全国のボウリング場が3697か所にのぼりました。その後ブームは急速にしぼみ、いまではその数は当時の5分の1以下になっています。