システィーナの天井画は寝て描いた?
いいえ。自分で考えた足場の上に立ち、首を後ろに反らせて描きました。寝転んだ姿は後世の誤解です。
ローマのヴァチカンにあるシスティーナ礼拝堂。見上げると、天井一面に『天地創造』や『アダムの創造』をはじめとする場面が描かれ、300を超える人物がひしめいています。ルネサンスの巨匠ミケランジェロが、4年あまりをかけて描き上げた天井画です。
この天井画については、「ミケランジェロは足場の上に仰向けに寝転んで描いた」という話がよく知られています。けれども、実際の彼は寝転んではいませんでした。
彫刻家に任された、巨大な天井
天井画を依頼したのは、教皇ユリウス2世です。契約が結ばれたのは1508年5月8日。礼拝堂は長さ約40.9メートル、幅約13.4メートル、床から天井までの高さは最も高いところで約20.7メートルあります。この広い天井に、ミケランジェロは天地創造からノアの物語までの9つの場面と、預言者や巫女たちの姿を描いていきました。
ミケランジェロ自身は、自分を画家ではなく彫刻家だと考えていました。フレスコ画の経験が豊かな助手を探したものの、ふさわしい人が見つからず、結局ほとんどをひとりで描き上げたといわれています。天井画は1512年10月31日までに完成し、翌11月1日には教皇が礼拝堂でミサを行いました。
足場は自分で考えた
高い天井に絵を描くには、まず足場が必要です。最初に足場を考えたのは、建築家のブラマンテでした。天井に穴をあけ、そこから綱でつり下げる方式です。しかしミケランジェロは、これでは穴のまわりをよけて描かなければならないと嫌い、自分で別の足場を組ませました。
新しい足場は、壁の高いところにあけた穴に梁を差し込み、張り出した軒のような部分で斜めの梁を支える仕組みでした。その上に、丸みを帯びた天井の形に沿うように、階段状の作業台が渡されていたと考えられています。下には仮の天井が張られ、礼拝堂では制作中も儀式が続けられました。
つまりミケランジェロは、天井のすぐ下に組まれたこの作業台の上に立って、絵を描いていたのです。
立ったまま、首を反らせて
とはいえ、楽な仕事ではありませんでした。16世紀の美術家ジョルジョ・ヴァザーリは、ミケランジェロの伝記に、顔を上に向けたまま仕事をしたせいで目を悪くし、数か月ものあいだ、手紙や素描も頭を後ろに反らせなければ読めなかった、と記しています。
ミケランジェロ自身も、そのつらさを詩に残しています。1509年か1510年ごろ、友人のジョヴァンニ・ダ・ピストイアに宛てて書いた詩です。天井を見上げ続けたせいで喉にこぶができた、ひげは天を向き、筆から垂れる絵の具で顔がまだら模様になる、体は弓のように反り返る、と嘆き、最後は「ここは私のいるべき場所ではないし、私は画家でもない」としめくくっています。
この詩の余白には、ミケランジェロが自分の姿をさっと描いた小さなスケッチが添えられています。そこにいるのは、寝転んだ人ではなく、立ったまま体を反らせ、頭上の絵に向かって腕を伸ばす人物です。
「寝転んで」はどこから来た?
では、寝転んで描いたという話はどこから生まれたのでしょうか。ヴァザーリや、ミケランジェロの弟子コンディヴィの伝記は、どちらも立って描いたと伝えています。一方、同じ時代の伝記作家パオロ・ジョーヴィオは、ラテン語で書いた短い伝記で、ミケランジェロが「仰向けに」描いたかのような言葉を使いました。これが広まって、寝転んだ姿のイメージが定着したと考えられています。
実際の姿勢は、寝転ぶよりもむしろ、立ったまま上を見続けるという、首や背中にこたえるものでした。