クロワッサンはフランス生まれ?
ルーツはオーストリアの三日月形パン「キプフェル」。層のある今の形は20世紀フランス生まれです。
カフェオレと一緒に、パリのカフェで頬ばるクロワッサン。かじるとパリッと薄い皮がはがれ、中からバターの香りがふわりと立ちのぼります。フランス語で「三日月」を意味する名前といい、その姿といい、これほどフランスらしいパンはないように思えます。
ところが、クロワッサンの家系図をたどっていくと、国境を越えて東へ、オーストリアの都ウィーンへと行き着きます。しかもその途中には、まことしやかな戦争の伝説まで待ち受けているのです。
ご先祖はウィーンの「キプフェル」
クロワッサンの祖先とされるのは、オーストリアの「キプフェル」という三日月形のパンです。中央ヨーロッパで広く親しまれてきたパンで、ウィーンでは13世紀の記録にすでにそれらしいパンが登場するとされています。
ただし、キプフェルはクロワッサンとは中身がかなり違います。ふつうのパンに近い発酵生地や、ブリオッシュのような生地で作られることが多く、何層にも重なったパリパリの生地ではありません。形はそっくりでも、食感はむしろロールパンに近いものです。
1683年の「ウィーン包囲」伝説
キプフェルの誕生については、有名な物語があります。1683年、オスマン帝国の大軍がウィーンを包囲したとき、夜中に仕事をしていたパン職人が、地下から響くかすかな物音に気づきました。敵が城壁の下にトンネルを掘っていたのです。職人の知らせで攻撃は防がれ、その手柄を記念して、オスマン帝国の旗の三日月をかたどったパンが焼かれるようになった、というものです。
なんとも劇的な話ですが、これを裏づける当時の資料は見つかっていません。似た話は1686年のブダ(いまのブダペスト)を舞台にしても語られていて、そもそもキプフェルは包囲戦よりずっと前からありました。この伝説が広く知られるようになったのは、1938年に出版された料理事典『ラルース・ガストロノミック』の初版で紹介されてからだと考えられています。いわば20世紀に広まった、食べものの昔話なのです。
パリに開いたウィーン風のパン屋
では、キプフェルはどうやってフランスへ渡ったのでしょうか。確かな記録として登場するのが、オーストリアの元砲兵将校アウグスト・ツァングという人物です。
ツァングは1838年か1839年に、パリのリシュリュー通り92番地に「ブーランジュリー・ヴィエノワーズ(ウィーン風パン屋)」を開きました。キプフェルなどのウィーンの名物を並べたこの店はたちまち評判となり、まねをするフランスのパン屋が次々に現れます。いまフランスでクロワッサンやパン・オ・ショコラなどをまとめて「ヴィエノワズリー(ウィーン風のもの)」と呼ぶのは、この流れをくむ言葉です。
ちなみにツァング自身はパン屋で生涯を終えたわけではありません。1848年にウィーンへ戻ると、新聞「ディ・プレッセ」を創刊し、のちには銀行や鉱山も経営しました。この新聞は、途中の中断をはさみながら、いまも発行が続いています。
パリパリの層は20世紀生まれ
フランスで「クロワッサン」という名前が記録に現れるのは、1853年に「ぜいたくパン」の一種として紹介されたのが早い例とされます。ただ、このころのクロワッサンは、まだキプフェルと同じような生地だったと考えられています。
生地にバターを折り込んで何層にも重ねる技法そのものは、17世紀のフランスの料理書にも見られます。しかし、それがクロワッサンに使われるようになったのは20世紀に入ってからでした。いまのクロワッサンに当たるレシピが確認できるのは、1905年ごろ(1906年の料理事典とする資料もあります)が最初です。
つまり、三日月形のパンという「型」はオーストリアから、バターの層を重ねた「中身」はフランスから。クロワッサンは、二つの国の職人たちが時間をかけて育てた、合作のパンだといえそうです。