コーヒーはヤギが見つけた?
ヤギの話は17世紀に記録された伝説です。確かな記録は15世紀イエメンの修道者の飲み物でした。
朝の一杯がないと目が覚めない、という人は多いでしょう。いまや世界中で毎日のように飲まれているコーヒーですが、その始まりについては、たいへん有名な話があります。
むかしエチオピアに、カルディという名のヤギ飼いがいました。ある日、ヤギたちが見慣れない木の赤い実を食べると、夜になっても眠らずに跳ねまわっています。驚いたカルディが近くの修道院に知らせると、修道士たちはその実を煮だして飲み、夜の祈りのあいだも眠気に襲われなくなった――。コーヒー店のポスターや商品の説明で、一度は目にしたことがあるかもしれません。
伝説が初めて書かれたのは1671年
このヤギの話は、いつからあるのでしょうか。
記録としてさかのぼれる最も古いものは、1671年にローマで出版された、コーヒーについてのラテン語の論文です。書いたのは、レバノン出身のキリスト教徒(マロン派)の学者、アントワーヌ・ファウスト・ナイロン。コーヒーが実際に飲まれるようになったと考えられている時代から、200年ほどもあとのことです。
しかも、ナイロンの書いた話は、いま知られている話と少し違います。舞台はエチオピアではなく、アラビア半島南部の「幸福のアラビア」と呼ばれた地域、つまりいまのイエメンあたり。主人公も、ラクダかヤギの番をしている名もない男でした。
「カルディ」は20世紀の名前?
では、「カルディ」という名前はどこから来たのでしょうか。
初期の記録には、ヤギ飼いの名前は出てきません。カルディという名前がついたのはもっとあとのことで、広く知られるようになったきっかけは、アメリカのウィリアム・ユーカーズが1922年に出版した、コーヒーの百科事典ともいえる大著『オール・アバウト・コーヒー』だとされています。舞台がエチオピアに移ったのも、のちの時代になってからのようです。
つまり、私たちがよく知るヤギ飼いカルディの物語は、何百年もかけて少しずつ形を整えてきた**「育った伝説」**なのです。コーヒーの起源には、このほかにも、町を追放された修道者が山の中で赤い実を見つけたという話などがありますが、いずれも確かな裏づけはありません。
確かな記録は15世紀のイエメン
伝説を離れて、確かな証拠を探してみましょう。
コーヒーの木、とくにアラビカ種の野生の木は、エチオピアの高地がふるさとだと考えられています。ところが、飲み物としてのコーヒーについては、15世紀より前に飲まれていたことを示す確かな証拠は、歴史の記録にも遺跡にも見つかっていません。
確かな記録が現れるのは、15世紀の半ばごろのイエメンです。コーヒーを飲んでいたのは、イスラム教の神秘主義者「スーフィー」たちでした。彼らは夜通し神の名を唱える儀式を行うため、眠気を払う飲み物としてコーヒーを重宝したのです。15世紀の終わりには、イエメンのスーフィーのあいだでコーヒーを飲む習慣がしっかり根づいていたとされています。
「眠らずに夜の祈りを続けるための飲み物」という点では、伝説の修道士たちと、実在したスーフィーたちはよく似ています。ヤギの話は、こうした本当の歴史に、楽しい脚色を加えたものなのかもしれません。
港町モカから世界へ
イエメンで広まったコーヒーは、16世紀のうちにメッカやカイロ、イスタンブールへと伝わります。1511年にはメッカで一時禁止されたこともありましたが、人々の人気は止められませんでした。コーヒーの積み出し港として栄えたイエメンの「モカ」は、いまもコーヒーの銘柄やメニューの名前に残っています。
「コーヒー」という言葉も、この道筋をたどってきました。もとはアラビア語の「カフワ」で、トルコ語の「カフヴェ」を経てヨーロッパの言葉に入り、日本語の「コーヒー」は江戸時代にオランダ語の「koffie」から入ったとされています。