電球を発明したのはエジソン?
電球自体はエジソン以前からありました。彼は長持ちする電球と、その電気を届ける仕組みを実用化しました。
暗い部屋でスイッチを入れると、ぱっと明かりがつく。あまりにも当たり前のこの光景を生んだ人として、多くの人が思い浮かべるのはトーマス・エジソンでしょう。伝記の定番で、「発明王」と聞けばまず電球、という人も多いはずです。
ところが歴史をひもとくと、エジソンが電球の研究を始めたとき、光る電球そのものはすでに何人もの人の手で作られていました。では、エジソンは何を成し遂げたのでしょうか。
エジソン以前の「光る線」
電気で光を生み出す試みは、19世紀のはじめにさかのぼります。イギリスのハンフリー・デービーは、電池につないだ炭素の棒のあいだに強い光の弧を生む「アーク灯」を実演してみせました。ただ、アーク灯はまぶしすぎ、家庭の明かりには向きませんでした。
そこで考えられたのが、細い線に電気を流して熱し、白く光らせる「白熱電球」です。原理は単純ですが、難題がありました。光るほど熱くなった線は、空気中の酸素と反応して、あっという間に燃え尽きてしまうのです。ガラス球の中の空気を抜けばよいのですが、当時の技術では十分な真空を作れませんでした。それでも挑戦する人は後を絶たず、歴史家の数え方によっては、エジソンより前に20人以上が白熱電球を考案していたとされています。
イギリスのスワン
なかでも重要なのが、イギリス北東部ニューカッスルの化学者、ジョゼフ・スワンです。スワンは1850年代から、紙を炭にしたフィラメントで実験を続けていました。やがて真空ポンプの性能が上がると研究は大きく前進し、1878年12月、地元の化学協会で炭素フィラメントの電球を披露します。翌1879年2月には700人ほどの聴衆の前で講演し、会場をその光で照らしたと伝えられています。
スワンの自宅は、電球で照らされた最初の家のひとつといわれます。1881年には、ロンドンのサヴォイ劇場がスワンの電球で照らされました。電灯で照らされた初めての公共の建物ともいわれています。
エジソンは何をしたのか
エジソンが本格的に電球の研究に乗り出したのは1878年のことです。1879年10月、炭にした木綿糸のフィラメントで、十数時間ともり続ける電球に成功しました。その年の大みそかには、ニュージャージー州メンロパークの研究所で、たくさんの電球をともす公開実験を行っています。
エジソンのすごさは、ここからでした。目標は実験室で光らせることではなく、ガス灯に代わる明かりを、街じゅうの家庭に届けることです。そのため、多くの電球を並べてつないでも効率よく電気を送れるよう、抵抗の大きな細いフィラメントにこだわりました。さらに、長持ちする材料を求めて何千もの素材を試し、竹にたどり着きます。
世界中から集めた竹のなかで、とりわけ成績がよかったのが、京都府八幡市の男山周辺の真竹でした。この竹のフィラメントは約1000時間ともったとされ、その後10年あまり、エジソンの電灯会社に送られ続けたといいます。石清水八幡宮の境内には、いまもエジソンの記念碑が立っています。
エジソンはさらに、発電機、送電線、ソケット、スイッチ、電力量を測るメーターまでを一式でそろえ、1882年にはニューヨークで発電所の営業を始めました。電球を「発明」したというより、電球が役に立つ世界ごと作り上げた、といったほうが近いかもしれません。
争いから手を組むまで
同じころに同じものを作った2人ですから、イギリスでは特許をめぐる対立も起こりました。けれども、スワンが先に研究していたことを示せたこともあり、長い法廷闘争は避けられます。1883年、両者の会社は合併し、「エジソン・アンド・スワン連合電灯会社」が生まれました。その電球は「エディスワン」の名で売られています。