活版印刷はグーテンベルクが最初?
いいえ。活字は11世紀の中国で生まれ、金属活字の本もグーテンベルクより約78年早く朝鮮で刷られています。
78年
1文字ずつ作った「活字」を並べて版を組み、インクをつけて紙に刷る。使い終わったらばらして、別の文章に組み直す。これが活版印刷です。
15世紀半ばのドイツで、ヨハネス・グーテンベルクがこの方法で聖書を刷ったことは、世界史の教科書にも必ず登場します。そのため「活版印刷を発明したのはグーテンベルク」と覚えている人も多いでしょう。ところが、活字を使った印刷には、さらに400年ほどさかのぼる歴史があります。
11世紀の中国で生まれた「粘土の活字」
最初に活字を作ったとされるのは、中国・北宋の時代の職人、畢昇(ひっしょう)です。1040年代のことでした。
その方法は、同じ時代の学者、沈括(しんかつ)が書いた随筆集『夢渓筆談』に記録されています。粘土に1字ずつ文字を彫り、火で焼いて固めて活字にします。鉄の板に松やにと蝋(ろう)と紙の灰を混ぜたものを敷き、その上に活字を並べて温め、平らに押さえて固定しました。版を2枚用意し、1枚で刷っているあいだに、もう1枚を組むことで、すばやく刷れたといいます。数百、数千部を刷るなら、とても効率がよい方法だと書かれています。
ただし、中国では活字の印刷は主流になりませんでした。漢字は数千字もあるため、必要な活字をそろえるのがたいへんだったからです。その後も長いあいだ、1ページ分を1枚の板に彫る木版印刷が広く使われ続けました。
現存最古の金属活字本は朝鮮に
金属の活字をいち早く使ったのは、朝鮮半島の高麗でした。いま残っているもっとも古い金属活字本は、1377年に清州(チョンジュ)の興徳寺(フンドクサ)で刷られた仏教書『白雲和尚抄録仏祖直指心体要節』、略して『直指(ジクジ)』です。
上下2巻のうち残っているのは下巻だけで、19世紀末にソウルに駐在したフランスの外交官が持ち帰り、いまはフランス国立図書館が所蔵しています。2001年にはユネスコの「世界の記憶(記憶遺産)」に登録され、グーテンベルク聖書より約78年早い、現存最古の金属活字本と認められました。
では、グーテンベルクは何をしたのか
それでも、グーテンベルクの功績が小さくなるわけではありません。1400年ごろにドイツのマインツで生まれた彼は、活字を大量に、しかも正確に作るための仕組みをまとめあげました。
同じ形の活字をいくらでも鋳造できる手持ちの鋳型。鉛にスズとアンチモンを混ぜた、溶けやすく固まると丈夫な合金。金属の活字にのりやすい油性のインク。そして、ねじで紙を均一に押しつける印刷機。これらを組み合わせて、活字を使った印刷を、大量生産の技術にしたのです。
アルファベットは文字の数が少ないことも、活字に向いていました。それでも聖書を美しく刷るため、合字や略号を含めて約290種類の活字が用意されたといわれます。
1455年ごろに完成した聖書は、約180部が刷られたとされ、いまも49部が残っています。印刷の技術はその後、数十年のうちにヨーロッパ中へ広がりました。東アジアの活字の技術がヨーロッパに伝わっていたかどうかは、はっきりしていません。
日本には、東と西の両方から
日本には、ふたつの道から活字がやってきました。ひとつは西から。1590年、ヨーロッパから帰国した天正遣欧使節とともに、宣教師ヴァリニャーノがグーテンベルク式の印刷機を持ち込み、翌年ごろから九州で「キリシタン版」と呼ばれる本が刷られました。
もうひとつは朝鮮半島から伝わった銅の活字です。徳川家康は晩年、これにならって銅活字を作らせ、1616年には駿府(いまの静岡市)で『群書治要』を刷らせました。この「駿河版銅活字」は国の重要文化財に指定され、いまは東京の印刷博物館に収められています。