電話を発明したのはベル?
特許を取ったのはベルですが、同じころ電話に挑んだ人は何人もいて、今も議論が続いています。
電話を発明したのは誰か。そう聞かれたら、たいていの人はアレクサンダー・グラハム・ベルと答えるでしょう。1876年、ベルが隣の部屋の助手に「ワトソン君、来てくれ。用がある」と呼びかけたのが、電話で伝わった最初の言葉だという話も有名です。
ところが、電話の誕生の物語には、ほかにも何人もの主役候補が登場します。なかには、自分こそが本当の発明者だと信じたまま世を去った人もいました。
同じ日に届いた2通の書類
1876年2月14日、ワシントンの特許庁に、電話に関わる2つの書類が届きました。1つはベルの弁護士が持ち込んだ特許の出願。もう1つは、シカゴ近郊の発明家イライシャ・グレイの弁護士が出した「予告記載(キャビアット)」で、これから特許を出願するつもりの発明を先に届けておく書類です。
ベルの特許は3月7日に認められました。その3日後の3月10日、ベルは実験に成功し、あの「ワトソン君」の場面が生まれます。ところが、このとき使われた、針を液体に浸して声を電流の強弱に変える送話器は、グレイの書類に描かれていた仕組みとよく似ていました。ベルが特許庁の審査官からグレイの書類の内容を聞いていたのではないか、という疑いはのちに裁判でも争われましたが、関係者の証言は食い違い、決着はついていません。
スタテン島の「テレットロフォノ」
さらにさかのぼると、イタリア出身の発明家アントニオ・メウッチに行き着きます。1850年にニューヨークのスタテン島へ移り住んだメウッチは、自宅の寝室と仕事場を結んで声を伝える装置を作りました。改良を重ねた装置は「テレットロフォノ」と名づけられ、1870年には、1マイル(約1.6キロメートル)ほど離れたところまで声を届けることに成功したと伝えられています。
1871年12月、メウッチは「音の電信」と題する予告記載を特許庁に提出します。けれども正式な特許は出願しないまま、1874年を最後に予告記載の更新も途絶えました。お金がなかったためともいわれますが、同じころ別の発明では特許を取っていたことから、この説明には異論もあります。
ただし、メウッチの書類には、声を電気の信号に変えて送る仕組みがはっきり書かれていませんでした。1887年の裁判でも、彼の装置は電線を張って振動を伝える機械式のものにすぎないと判断されています。メウッチを支持する人々はこれに異を唱え、論争は彼の死後も続きました。
2002年の決議は何を言ったのか
2002年、アメリカ下院はメウッチに関する決議を採択しました。「メウッチがもし1874年以降も10ドルの手数料を払って予告記載を維持できていたら、ベルに特許が与えられることはなかった」と前文に記し、電話の発明における彼の業績は認められるべきだとしています。
この決議は「メウッチこそ電話の発明者だと認めた」と報じられることがあります。しかし、決議文が述べているのはあくまで「電話の発明における業績」であり、メウッチが唯一の発明者だと明言しているわけではありません。上院では同様の決議案の採決は行われず、ベルが暮らし研究も続けたカナダの議会は、その直後にベルを電話の発明者とする動議を採択しています。
発明は、ひとりでは完成しない
ほかにも、ドイツのフィリップ・ライスは1861年に音を電気で伝える装置を発表し、「テレフォン」と名づけていました。電話を実用的なものにした改良では、エジソンの送話器も大きな役割を果たしています。ベルの特許は、600件ほどの裁判で争われたといわれます。
電話を発明したのはベルか、と聞かれれば、「最初に特許を取り、実用化への道を開いたのはベル。ただし、同じ夢を追っていた人はほかにもいた」と答えるのがいちばん正確かもしれません。