信号機はなぜ赤・黄・青?
鉄道信号の色使いを受け継いだもので、日本の「青」も、実は緑の仲間です。
1930年
交差点で信号が変わるのを待ちながら、「青信号って、どう見ても緑だよね」と思ったことはないでしょうか。英語では「グリーン・ライト」と呼ばれていると知って、なんだか落ち着かない気持ちになった人もいるかもしれません。
赤は止まれ、黄は注意、そして緑(青)は進め。この配色は、世界のほとんどの国で共通です。けれども、最初からこの3色に決まっていたわけではありません。信号の色の歴史をたどると、出発点は自動車ではなく、鉄道にありました。
始まりは鉄道の信号
19世紀のイギリスで鉄道が広がると、列車に「止まれ」や「進め」を伝える信号が必要になりました。初期の鉄道信号では、止まれを赤、注意を緑、そして進めを白(無色)の灯火で示すことが多かったとされています。
赤が「止まれ」に選ばれたのは、昔から危険を知らせる色として使われてきたことに加え、遠くからでも目立ちやすいからだとよく説明されます。
ところが、白い「進め」には落とし穴がありました。赤いレンズが割れて外れてしまうと、「止まれ」のはずの信号が白い光、つまり「進め」に見えてしまうおそれがあったのです。街の明かりと見分けにくいという問題もありました。そこで19世紀の終わりごろから、「進め」には緑が使われるようになり、「注意」の役割は、やがて黄色が担うようになっていったといわれます。
世界初の交通信号はガス灯
道路で初めて信号機が使われたのは、1868年12月のロンドンです。国会議事堂前の交差点に、鉄道技術者ジョン・ピーク・ナイトの考案した信号機が設置されました。昼は腕木の角度で、夜はガス灯の赤と緑の光で合図するもので、警察官が手で操作していました。
色の意味は、鉄道と同じでした。当時の告知を見ると、赤は「止まれ」ですが、緑は「進め」ではなく「注意して進め」とされています。
ところがこの信号機は、設置からわずか1か月ほどの1869年1月、ガス漏れが原因で爆発し、操作していた警察官が大けがをしてしまいます。道路信号の歴史は、波乱の幕開けでした。
赤・黄・緑の3色を備えた電気式の信号機は、1920年にアメリカのデトロイトで、警察官ウィリアム・ポッツが考案したものが最初とされています。ポッツの信号機は、交差点の四方に向けて灯火を備えた塔のような形をしていました。黄色の「注意」が加わったことで、運転する人は信号が変わることを前もって知り、余裕をもって止まれるようになりました。
緑なのに、なぜ「青」?
日本初の自動式信号機は、1930年、東京・日比谷の交差点に設置されたアメリカ製のものでした。当時の法令では、この色は「緑色信号」と書かれていました。
ところが、人々のあいだでは「青信号」という呼び方が広まっていきます。日本語にはもともと、青葉や青りんごのように、緑色のものを「青」と呼ぶ習慣がありました。古い日本語では色を表す基本的なことばが赤・黒・白・青の四つほどしかなく、「青」は緑を含む幅広い色を指していたと考えられています。そうした言葉の感覚に新聞などの呼び方も後押しして、「青信号」は定着していったようです。結局、1947年には法令のほうが「青色」に改められました。
とはいえ、信号の色を本物の青にしてしまうと、国際的な取り決めから外れてしまいます。そこで1970年代に入ると、国際的に「緑」とされる範囲のなかで、できるだけ青に近い色を使うようになりました。日本の青信号が、外国の信号と比べてやや青みがかって見えるのはこのためです。呼び名に合わせて、色のほうが少しだけ歩み寄ったわけです。