ツタンカーメンの呪いは本当?
根拠はありません。発掘に関わった人の多くは長生きし、墓を開いたカーターもその後16年以上生きました。
1922年11月、エジプトの「王家の谷」で、ほぼ手つかずのファラオの墓が見つかりました。少年王ツタンカーメンの墓です。黄金のマスクや豪華な副葬品が次々と姿を現し、世界中が熱狂しました。
ところが、この大発見には不気味な話がつきまといます。「王の眠りを妨げる者には死が訪れる」。墓を暴いた人々が、ファラオの呪いによって次々と命を落とした、というのです。いまでも語り継がれるこの呪いは、本当にあったのでしょうか。
発見から5か月後の死
発掘を率いたのはイギリスの考古学者ハワード・カーター、資金を出していたのはイギリスの貴族カーナーヴォン卿です。カーナーヴォン卿は1907年からカーターの調査を支え続け、ついに大発見にたどり着きました。1922年11月26日、ろうそくの明かりで墓の中をのぞき込んだカーターは、「何か見えるか」と尋ねられ、「ええ、すばらしいものが」と答えたと伝えられています。1923年2月16日には、王の棺が納められた玄室が公式に開かれています。
ところがその直後、カーナーヴォン卿は体調を崩します。3月に蚊に刺された跡を、ひげそりのかみそりで傷つけてしまい、そこから感染が広がったのです。症状は血液の感染症から肺炎へと進み、1923年4月5日、卿はカイロのホテルで亡くなりました。56歳でした。
いまの医学の目で見れば、抗生物質のなかった時代の感染症による死です。けれども、墓が開かれてからわずか数か月後の死は、人々の想像をかき立てるのに十分でした。
呪いを広めたのは新聞だった
実はその少し前から、呪いの噂は広まりはじめていました。卿が亡くなる2週間ほど前、イギリスの人気作家マリー・コレリが、墓に立ち入る者には恐ろしい罰が下るという趣旨の手紙をアメリカの新聞に寄せていたのです。卿の死によって、この話は一気に世界中へと広がりました。シャーロック・ホームズの作者コナン・ドイルまでもが、王の墓を守るために神官が生み出した霊のしわざではないか、と語ったといいます。
新聞がこの話に飛びついた背景には、取材をめぐる事情もありました。カーナーヴォン卿は発掘の独占取材権をイギリスのタイムズ紙に売っていたため、ほかの新聞は思うように記事が書けず、不満を抱えていました。そんななかで、「ファラオの呪い」は格好の題材になったのです。
卿が亡くなった瞬間にカイロの街の明かりが消えた、イギリスにいた卿の愛犬が同じころに死んだ、といった話も語られました。しかし、これらは後から付け加えられた作り話の可能性が高いとされています。墓の入り口に呪いの言葉が刻まれていた、という話もよく知られていますが、そのような碑文は見つかっていません。
数字で確かめた「呪い」
では、墓に関わった人々は本当に早死にしたのでしょうか。2002年、オーストラリアの研究者マーク・ネルソンが、この疑問を統計で確かめた論文をイギリスの医学雑誌に発表しました。
ネルソンは、カーターの記録をもとに、1923年2月から1926年11月までにエジプトにいた欧米人44人を調べました。そのうち、玄室や棺が開かれる場に居合わせるなどして「呪いを受けた」可能性のある人は25人。この25人が亡くなった年齢は平均70歳で、そうでない人たちの平均75歳と比べて、統計的に意味のある差はありませんでした。
なにより、呪いを最も受けそうな人物、つまり墓を開けたカーター自身が長生きしています。カーターはその後およそ10年をかけて墓の調査と副葬品の整理を続け、1939年3月2日にロンドンで亡くなりました。64歳、墓を開いてから16年あまりがたっていました。カーナーヴォン卿の娘で、発見の場に立ち会ったイヴリン・ハーバートは、1980年まで生きています。