オックスフォード大学とアステカ帝国、古いのはどっち?
答え
オックスフォード大学です。教育は1096年ごろに始まり、アステカの都の建設より200年以上前です。
1096年
湖の上に築かれた壮麗な都、巨大な神殿ピラミッド、太陽の神への祈り。アステカ帝国と聞くと、はるか遠い「古代文明」の響きがあります。一方のオックスフォード大学は、今も世界中から学生が集まり、ランキングの上位に名を連ねる現役の大学です。
どちらが古いかと聞かれれば、多くの人はアステカだと答えるでしょう。けれども年号を並べてみると、答えは逆になります。
大学の始まりは「いつのまにか」
オックスフォード大学には、はっきりとした創立年がありません。誰かが「今日から大学を始める」と宣言したのではなく、学者や学生が自然に集まって学びの場ができあがっていったからです。
大学自身の説明によれば、オックスフォードでは1096年ごろにはすでに教育が行われていた証拠があるとされます。さらに1167年、イングランド王ヘンリー2世が自国の学生にパリ大学への留学を禁じたことで、多くの学者がオックスフォードに移り住み、急速に発展しました。英語圏で現存する最古の大学として知られています。
1096年は、日本でいえば平安時代の後期、白河上皇が院政を敷いていたころです。ヨーロッパでは第1回十字軍が出発した年でもあります。
アステカの都が生まれたのは
一方、アステカの人々(自らはメシカと名乗っていました)が、テスココ湖の島に都テノチティトランを築いたのは、伝承によれば1325年ごろとされます。オックスフォードで教育が始まってから、すでに200年以上がたっていました。
しかも、この時点ではまだ「帝国」と呼べる規模ではありません。周辺の都市と三国同盟を結び、本格的に勢力を広げ始めるのは1428年のことです。そして1521年には、スペインのコルテス率いる軍勢によってテノチティトランは陥落します。
1325年の日本は鎌倉時代の終わりごろ、鎌倉幕府が滅びるわずか8年前です。アステカは、日本の歴史に置き換えると「中世」の国だったことになります。
「古代」という言葉のトリック
なぜ私たちは、アステカをこれほど古く感じてしまうのでしょうか。
ひとつには、文明の「見た目」があります。石造りのピラミッドや独自の暦、鉄を使わない文化は、エジプトやメソポタミアのような古代文明を連想させます。また、ヨーロッパと出会ってまもなく滅びてしまったため、その歴史が私たちの知る「近代」とつながらず、遠い過去の物語として切り離されて見えるのです。
逆にオックスフォードは、今も授業が行われ、建物が使われ続けているせいで、古さを実感しにくい存在です。続いているものは新しく、途絶えたものは古く見える。時間の感覚は、案外こうした印象に左右されています。
ほかにもある「意外な順番」
同じような時間のずれは、技術の歴史にも見つかります。たとえばファクシミリです。スコットランドの時計職人アレクサンダー・ベインが、画像を電気信号で送る装置の特許を取ったのは1843年。グラハム・ベルが電話の特許を取得した1876年より、30年以上も前のことでした。1860年代には、イタリア出身のカゼッリが開発した装置で、パリとリヨンのあいだに商用の画像電送サービスも開かれています。
電話よりファクスのほうが古い。そう聞くと、オフィスの片隅にある機械が少し違って見えてきます。
古いか新しいかは、印象ではなく年表が決める。
当たり前のことですが、年号を並べ直すたびに、歴史は小さな驚きを返してくれます。