クレオパトラとピラミッド、時代が近いのはどっち?
答え
クレオパトラにとって、ピラミッドは約2500年前の遺跡でした。彼女の時代は月面着陸のほうが近いのです。
2500年
砂漠にそびえるピラミッドを背に、きらびやかな衣装をまとったクレオパトラが立っている。映画やポスターでおなじみの、いかにも「古代エジプト」らしい光景です。
ところが、この二つを同じ時代のものとして思い浮かべると、時間の感覚が大きくずれてしまいます。クレオパトラが生きていたころ、ギザの大ピラミッドはすでに気の遠くなるほど古い遺跡でした。
ピラミッドは、彼女にとっても古代遺跡
ギザの大ピラミッドは、古王国時代のクフ王の墓として、紀元前2560年ごろに完成したと考えられています(年代は推定で、研究者によって数十年ほどの幅があります)。
一方、クレオパトラ7世が生まれたのは紀元前69年、亡くなったのは紀元前30年です。大ピラミッドの完成から彼女の誕生までには、およそ2500年の隔たりがあります。
2500年といえば、現代の私たちから見た古代ギリシャの哲学者ソクラテスとほぼ同じくらいの距離です。クレオパトラがピラミッドを眺めたとしたら、その感覚は、私たちがアテネのパルテノン神殿を見上げるときに近かったのかもしれません。実際、紀元前5世紀にはギリシャの歴史家ヘロドトスがエジプトを訪れ、ピラミッドについて書き残しています。そのころからすでに、ピラミッドは「見物に行く古代の驚異」だったのです。
月面着陸のほうが近い
では、クレオパトラの時代と現代を比べてみましょう。彼女が亡くなった紀元前30年から、アポロ11号が月面に着陸した1969年までは、およそ2000年です。
つまり、クレオパトラは、大ピラミッドの建設よりも人類の月面着陸のほうに時代が近いということになります。ピラミッドと同じ「古代エジプト」の棚に並べていた人物が、実は私たちの側にずっと寄った場所に立っていたわけです。
この話が意外に感じられるのは、古代エジプトの歴史があまりに長いからです。最初の王朝の成立からクレオパトラの死まで、およそ3000年。その長さは、クレオパトラから現代までの時間をも上回ります。「古代エジプト」という一言のなかに、私たちの想像以上の時間が詰め込まれているのです。
エジプト人ではなかった女王
もうひとつ、クレオパトラについて意外に知られていないことがあります。彼女の一族、プトレマイオス朝は、アレクサンドロス大王の部下だったマケドニア出身の将軍プトレマイオスに始まる王朝でした。宮廷の言葉はギリシャ語で、王家は代々ギリシャ系の伝統を守っていました。
古代の伝記作家プルタルコスによれば、クレオパトラは多くの言語を操り、王朝の歴代君主のなかで初めてエジプト語を習得した人物だったと伝えられています。何百年もエジプトを治めながら、それまでの王たちは現地の言葉を話さなかったというのも、なかなか驚きの事実です。
彼女の死後、エジプトはローマの支配下に入り、ファラオの国としての長い歴史は幕を閉じます。クレオパトラは「最初のエジプト」ではなく、「最後のエジプト」の人だったのです。
時間の遠近法
私たちは、遠くにある出来事ほどひとかたまりに見てしまう傾向があります。遠くの山並みが一枚の影絵のように重なって見えるのと同じで、何千年も前の出来事は、互いの距離がつぶれて見えるのです。
ピラミッドとクレオパトラのあいだにも、王朝の興亡や人々の暮らしの変化が、2500年ぶん積み重なっています。年号を数字で並べ直してみると、歴史の風景は思いのほか奥行きを取り戻します。