忍者は本当に黒装束だった?
黒ずくめの姿は、主に芝居の演出から広まったと考えられています。実際は目立たない服装が基本でした。
頭から足の先まで黒い布で包み、目だけをのぞかせた姿。背中には刀、手には手裏剣。忍者といえば、多くの人がこんな「黒装束」を思い浮かべるはずです。テーマパークのショーでも、海外のアクション映画でも、忍者はたいてい黒ずくめで登場します。
けれども、戦国時代から江戸時代にかけて実際に活動していた忍びの者たちが、こうした姿をしていたことを示す確かな史料は、ほとんど見当たりません。では、あの黒装束はどこから来たのでしょうか。
忍術書がすすめた「ありふれた色」
忍者自身が書き残したものとして、江戸時代の前期にまとめられた忍術書がいくつか伝わっています。伊賀や甲賀の忍術を集大成した『萬川集海(ばんせんしゅうかい)』や、紀州藩に伝わった『正忍記(しょうにんき)』などです。
国立国会図書館の解説によると、『正忍記』では、忍びの者が着る服の色として茶色、柿色、黒色、紺色が挙げられています。いずれも当時の人々がふだん着ていた、ありふれた目立たない色でした。黒も含まれてはいますが、それは「忍者らしい衣装」としてではなく、人ごみに溶け込むための普通の色のひとつとしてだったのです。
そもそも忍びの仕事の中心は、敵の様子を探り、情報を持ち帰ることでした。そのために何より大切だったのは、怪しまれずに相手に近づくことです。
7つの変装術「七方出」
『正忍記』には、「七方出(しちほうで)」と呼ばれる7つの変装が紹介されています。虚無僧、出家(僧侶)、山伏、商人、放下師(大道芸人)、猿楽師(芸能者)、そして「常の形」、つまりふだんの格好です。
どれも、見知らぬ土地を旅して歩いていても不自然ではなく、人に近づいても怪しまれにくい身なりでした。本物の忍びにとって最高の装束は、むしろ**「誰が見ても忍者には見えない服」**だったといえるでしょう。昼間に黒ずくめで町を歩いていたら、それこそ「私は忍者です」と名乗っているようなものです。
舞台の「見えない人」から生まれた姿
では、黒装束のイメージはいつ生まれたのでしょうか。有力とされているのが、江戸時代の歌舞伎や人形浄瑠璃といった芝居の世界です。
歌舞伎の舞台には、黒い衣装に身を包んで小道具を差し出したり、役者の着替えを手伝ったりする「黒衣(くろご)」がいます。観客のあいだには、黒衣は「そこにいても見えないもの」として扱うという約束ごとがありました。この約束ごとと重なるように、黒ずくめの人物が闇の中から現れて術を使う演出が生まれていった、と考えられています。
国立国会図書館の解説では、黒装束は、観客がその人物を一目で忍者だとわかるようにするための演出上の工夫だったと考えられる、としています。文字で説明できない舞台の上では、見た目こそがいちばんの説明でした。こうした姿はやがて小説の挿絵や浮世絵にも描かれるようになり、「忍者といえば黒装束」というイメージが定着していったようです。
映画が世界に広めた
20世紀に入ると、忍者は映画や漫画の人気者になりました。昭和の時代には何度も忍者ブームが起き、黒装束の忍者がスクリーンの中を駆けめぐります。1980年代には海外でも忍者映画が人気を集め、黒ずくめの「NINJA」は世界共通のキャラクターになりました。
本物の忍びは目立たないことを信条とし、芝居の忍者は目立つことで観客に存在を知らせた。
ふたつの忍者像は、ちょうど正反対の方向を向いていたのです。