ピラミッドは奴隷が作った?
奴隷ではなかったと考えられています。食料を支給され、王墓の近くに自分の墓も持つ人々でした。
照りつける太陽の下、汗まみれの人々が綱をかけた巨石を引きずり、そばでは監督が鞭を振り上げている。ピラミッドの建設現場といえば、そんな場面を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。映画や漫画、子ども向けの本でも、ピラミッドは「奴隷が強制的に働かされて作ったもの」として描かれることがよくありました。
ところが、この数十年の発掘調査は、まったく違う姿を浮かび上がらせています。ギザの大ピラミッドを作った人々は、どうやら奴隷ではなかったようなのです。
「奴隷説」はどこから来たのか
ピラミッドの建設を記録した古い文献として有名なのが、紀元前5世紀のギリシャの歴史家ヘロドトスの『歴史』です。ヘロドトスは、クフ王が人々を苦しめて10万人を働かせ、3か月交代で20年かけて大ピラミッドを作らせた、と書いています。
ただし、ヘロドトスがエジプトを訪れたのは、大ピラミッドができてから2000年ほどもあとのことです。聞き伝えをもとにした記述で、そのまま事実とは受け取れません。さらに、旧約聖書の「出エジプト記」に描かれた、エジプトで重労働を強いられたヘブライ人の物語と結びついて、奴隷のイメージが広まったともいわれます。ただ、聖書の物語にピラミッドは登場せず、時代もずっとあとのことと考えられています。
馬がつまずいて見つかった墓
大きな転機は、1990年に偶然訪れました。ギザの大スフィンクスの南東で、観光客を乗せた馬が砂に埋もれていた日干しれんがの壁につまずいたのです。調べてみると、そこはピラミッドを作った人々の墓地でした。
その後の発掘で、大小数多くの墓が見つかりました。墓にはパンやビールが供えられ、「ピラミッドの側面の監督」といった肩書きが刻まれたものもありました。エジプト考古学の第一人者ザヒ・ハワスは、王のピラミッドのすぐそばに墓を作ることを許されていた以上、彼らが奴隷だったはずはない、と述べています。
埋葬された人々の骨には、重労働の跡とともに、骨折がきちんと治った跡も残されていました。けがをした労働者が、手当てを受けていた可能性を示すものです。
パンとビールと牛肉
墓地の近くでは、アメリカの考古学者マーク・レーナーらのチームが、労働者たちが暮らしていた町の跡も発掘しました。パンを焼くかまどや、たくさんの牛、羊、ヤギの骨が見つかっています。彼らは主食のパンとビールに加えて、肉もかなりの量を食べていたと考えられています。
働く人々は班に分かれ、その班には王の名前を入れた名前がつけられていました。ピラミッドや神殿の石には、「クフ王の友」「メンカウラー王の酔っぱらいたち」といった、班の名前の落書きが残されています。作業の人数は、ヘロドトスの言う10万人よりずっと少なく、多くても2万人ほどという見方が有力です。
4500年前の「業務日誌」
2013年には、紅海沿岸のワディ・アル・ジャルフという遺跡で、大ピラミッドの建設に携わった人物の記録が見つかりました。現存する文字入りのパピルスとして最古級のもので、「メレルの日誌」と呼ばれています。
そこには、メレルという監督が率いる数十人の班が、ナイル川の対岸にあるトゥラの石切り場から、仕上げ用の白い石灰岩を船でギザへ運んだ様子が、日付入りで淡々と記されていました。巨大な国家事業が、細かな段取りと記録によって進められていたことを物語る、貴重な資料です。
もっとも、「奴隷ではなかった」ことは、「好きで働く自由な労働者だった」ことと同じではありません。建設にあたった人の多くは、各地から交代で集められた農民で、国への務めとして働いていたと考えられています。ピラミッドは、鞭におびえる奴隷ではなく、食事と住まいを与えられ、仲間と班を組んで働いた人々の手で築かれたのです。