日本最古のお金は?
現在は7世紀後半の「富本銭」が最古の銅銭とされます。長く最古とされた和同開珎より古いものです。
708年
「日本で最初のお金は?」と聞かれて、「和同開珎(わどうかいちん)」と答える人は多いのではないでしょうか。歴史の授業で習い、テストのために漢字を覚えた記憶がある人もいるかもしれません。
ところが今では、多くの教科書が和同開珎よりも古いお金として、別の銭を紹介しています。きっかけは、20世紀の終わりに奈良県で行われた、ひとつの発掘調査でした。
和同開珎の誕生
和同開珎が造られたのは、奈良に都が移る少し前の708年のことです。『続日本紀』によると、この年、武蔵国秩父郡(いまの埼玉県秩父市のあたり)から朝廷に銅が献上されました。これを喜んだ朝廷は、元号を「和銅」と改め、まもなく銀や銅の銭を造らせました。
形は、当時の中国・唐のお金「開元通宝」にならったもので、丸い銭の中央に四角い穴があいています。読み方は「わどうかいちん」と「わどうかいほう」の2通りがあり、4文字目の「珎」を「珍」と読むか、「寳(宝)」の略字と考えるかで説が分かれています。
もっとも、当時の人々にとって銭はなじみのないものでした。ものの取り引きには、お米や布が使われるのが普通だったからです。そこで朝廷は711年、一定の額の銭を蓄えた者に位を与えるという「蓄銭叙位令」を出し、銭の普及を後押ししました。
飛鳥池から現れた銭
和同開珎より古いかもしれない銭の存在は、実は江戸時代から知られていました。表に「富本」の2文字を記した「富本銭(ふほんせん)」です。ただ、出土例が少なく、お金としてではなく、縁起物やまじないに使う銭だと考えられていました。
その見方を大きく変えたのが、1999年の発表です。奈良県明日香村の飛鳥池遺跡で、7世紀後半の工房の跡から、33枚の富本銭が見つかりました。さらに、銭を鋳造したときに出る銅のくずや、銭の形をした鋳型なども大量に見つかり、ここで富本銭がまとめて造られていたことがはっきりしたのです。出土した地層などから、富本銭は和同開珎よりも20年以上前に造られていたと考えられるようになりました。
『日本書紀』には、天武天皇の時代の683年に「今より以後、必ず銅銭を用いよ。銀銭を用いることなかれ」という命令が出されたと記されています。ここに出てくる「銅銭」こそ、富本銭だった可能性が高いとみられています。
「富本」という名前の意味
富本銭の大きさは直径2.4cmほどで、和同開珎とほぼ同じです。四角い穴の上下に「富本」の2文字が、左右には7つの点を亀の甲羅のように並べた「七曜星」と呼ばれる文様が配されています。
「富本」という言葉は、中国の古い書物にある「民を富ませる本(もと)は食貨にあり」という一節に由来すると考えられています。食べものとお金こそが、人々を豊かにする基本だという意味です。国づくりを進めていた当時の朝廷の意気込みが感じられる名前です。
本当にお金として使われたのか
ただし、富本銭が実際にどれほど人々のあいだで使われたのかについては、今も議論があります。国が支払いなどに使うための本格的なお金だったとする見方がある一方で、出土する場所が限られていることなどから、まじないの性格も強かったのではないかとする見方もあります。
また、7世紀には、文字のない銀の円板「無文銀銭(むもんぎんせん)」も使われていたと考えられています。重さで価値をはかるお金だった可能性があり、これを含めるなら、日本のお金の歴史はさらにさかのぼることになります。「最古のお金」の答えは、何をお金と呼ぶかによって、まだ変わる余地を残しているのです。