バイキングは角付きの兜をかぶっていた?
いいえ。角の兜は19世紀の芸術が広めたイメージで、発掘されたバイキングの兜に角はありません。
バイキングと聞いて思い浮かべる姿は、たいてい決まっています。もじゃもじゃのひげに毛皮のマント、手には斧、そして頭には左右に角が突き出た兜。アニメやスポーツチームのマスコット、仮装グッズに至るまで、角付きの兜はすっかりバイキングの「制服」になっています。
ところが、考古学者に言わせると、この姿にはひとつ大きな問題があります。バイキングが角付きの兜をかぶって戦っていたことを示す証拠は、見つかっていないのです。
発掘された兜に、角はない
バイキングが北欧から海を越えて各地へ進出したのは、おおむね8世紀末から11世紀半ばにかけてのことです。793年、イングランド北東部のリンディスファーン修道院が襲われた事件が、その幕開けとしてよく挙げられます。
この時代の兜で、ほぼ完全な形に復元できたものは、実はひとつしか見つかっていません。1943年、ノルウェーの首都オスロの北西にあるイェルムンブーの墳墓から出土した、10世紀ごろの鉄の兜です。丸い帽子のような形に、目元を守る眼鏡のような覆いがついていますが、角はどこにもありません。
ほかに断片として見つかった兜もありますが、やはり角の痕跡はありません。そもそも当時、鉄は貴重品で、金属の兜を持てたのは一部の有力者に限られていたと考えられています。実用面から見ても、角は戦いの邪魔になりそうです。敵の武器が引っかかりやすく、振り下ろされた一撃をかえって受け止めてしまうからです。
角の兜は、もっとずっと昔のもの
ただし、北欧に角付きの兜がまったくなかったわけではありません。1942年、デンマークのコペンハーゲン北西にあるヴィクスーの湿地で、泥炭を掘っていた作業員が、大きく湾曲した角をもつ青銅の兜を2つ見つけました。
2022年に発表された研究では、兜に残っていたカバノキのタールを放射性炭素年代測定にかけ、紀元前900年ごろに湿地へ納められたと結論づけています。バイキング時代より1500年以上も前、青銅器時代のものです。戦いの道具ではなく儀式に使われたと考えられていて、角の先には羽根の飾りが付けられていた可能性も指摘されています。
角のある兜は、遠い昔の北欧に確かに存在しました。しかしそれは、バイキングとはまったく別の時代の、別の人々の持ち物だったのです。
オペラの衣装が決めたイメージ
では、角の兜はいつバイキングと結びついたのでしょうか。鍵を握るのは19世紀です。
この時代のヨーロッパでは、それぞれの国や民族の古いルーツに光を当てるロマン主義が盛り上がり、北欧の神話や英雄伝説が盛んに絵や詩の題材になりました。画家たちは、古代の戦士に角や翼のついた兜をかぶせ、勇ましく野性的な姿を思い描いていきます。
決定打になったといわれるのが、1876年にドイツのバイロイト音楽祭で初めて全曲上演された、ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』です。北欧・ゲルマンの神話をもとにしたこの大作の衣装を手がけたのが、画家のカール・エミール・デプラーでした。登場するのはバイキングではなく神々や英雄たちですが、彼がデザインした角や翼のついた兜は舞台で強烈な印象を残し、「北欧の戦士といえば角の兜」というイメージを一気に広めたと考えられています。
その後、このイメージは挿絵や広告、やがて映画を通じて世界中に広がりました。20世紀に入るころには、角の兜はすっかりバイキングのお約束になっていたのです。
記号は史実より長生きする
事実と違うのに、なぜここまで定着したのでしょうか。理由のひとつは、角という形のわかりやすさでしょう。荒々しさ、力強さ、どこか異教的な神秘性。それらを一目で伝える記号として、角ほど便利なものはありません。
史実よりも、わかりやすい記号のほうが長生きすることがある。
実際のバイキングは、略奪者であると同時に、遠くコンスタンティノープルやイスラム世界とも交易した商人であり、アイスランドやグリーンランドに移り住んだ開拓者でもありました。角の兜をはずしてみると、その素顔は私たちが思うよりずっと多彩です。