「月光」という題はベートーヴェンが付けた?
いいえ。原題は「幻想曲風ソナタ」で、「月光」は詩人レルシュタープの描写に由来する愛称です。
ゆっくりと繰り返される三連符の伴奏の上に、ほの暗い旋律が静かに浮かび上がる。ベートーヴェンのピアノソナタ第14番、通称『月光』の第1楽章は、クラシック音楽になじみのない人でも一度は耳にしたことがある曲でしょう。
湖面に月の光が揺れるような響きを聴いていると、いかにもぴったりの題名に思えます。ところが、ベートーヴェン自身はこの曲を「月光」とは呼んでいませんでした。
原題は「幻想曲風ソナタ」
この曲が作られたのは1801年、ベートーヴェンが30歳のころです。翌1802年に出版されたときの題は、イタリア語で「ソナタ・クアジ・ウナ・ファンタジア」、つまり「幻想曲風ソナタ」でした。作品番号27には2曲のソナタが収められていて、どちらにもこの同じ題が付けられています。
「幻想曲風」という言葉には、ベートーヴェンの意図がこめられていると考えられています。当時のソナタは、速い楽章で始まるのがふつうでした。ところがこの曲は、ゆっくりとした楽章で静かに始まり、最後の楽章で激しく燃え上がります。型にとらわれない、自由な幻想曲のような構成だったのです。
楽譜は、ベートーヴェンのピアノの弟子だった伯爵令嬢ジュリエッタ・グイチャルディに献呈されました。ベートーヴェンが思いを寄せていた女性ともいわれます。第1楽章の冒頭には、「この曲全体をきわめて繊細に、ダンパーを用いずに弾くこと」という指示が書かれています。響きを長く残し、音どうしを溶け合わせるための指示でした。ただ、そこに月や夜を思わせる言葉は、ひとつも書かれていません。
「ルツェルン湖の月光」という伝説
では、「月光」という愛称はどこから来たのでしょうか。長いあいだ語られてきたのは、次のような説明でした。
ドイツの詩人で音楽評論家のルートヴィヒ・レルシュタープが、第1楽章を「スイスのルツェルン湖の月光の波間に揺れる小舟」にたとえた。それはベートーヴェンが亡くなって5年後の1832年ごろのことで、そこから「月光ソナタ」という呼び名が広まった、というものです。
この話のもとになったのは、1852年に出版されたヴィルヘルム・フォン・レンツの本でした。レンツは、レルシュタープがこの曲をルツェルン湖の月夜の小舟にたとえたと書き、その呼び名が「20年前」から使われていたと記しています。この「20年前」を文字どおりに受け取ると、1832年になります。けれども、レルシュタープが1832年ごろに実際にそう書いた文章は、誰にも見つけられていませんでした。
見つかった1824年の文章
その後、レルシュタープの著作を細かく調べていった研究者が、別の文章に行き当たります。1824年の夏、ベルリンの音楽雑誌に連載された『テオドール』という短い物語です。
その中でレルシュタープは、登場人物が「嬰ハ短調のソナタのアダージョ」を思い浮かべる場面を、次のように描いていました。湖は月のほのかな光の中にまどろみ、くぐもった波が暗い岸を打つ。幽霊のような白鳥が水面をすべり、廃墟からはエオリアンハープの神秘的な調べが聞こえてくる。ここには、ルツェルン湖という地名は出てきません。どうやらそれは、レンツが後から付け加えたもののようです。
1824年といえば、ベートーヴェンはまだ存命です。しかもレルシュタープは翌1825年、ウィーンでベートーヴェン本人に会っています。ベートーヴェンがこの物語を読んだかどうかはわかっていません。それでも、「月光」のイメージは、作曲者の死後ではなく、生前にすでに生まれていたことになります。
「月光ソナタ」という呼び名そのものが活字に現れたのは、1830年代の半ばごろとされています。1830年代の終わりには、ドイツ語でも英語でもこの愛称が使われるようになり、19世紀の後半には世界中に定着しました。日本でも「月光ソナタ」「月光の曲」として親しまれています。作曲者が付けた名前ではなくても、一人の詩人の想像力が、この曲の聴かれ方を200年近くにわたって形づくってきたのです。