チューブ絵の具が印象派を生んだ?
大きな後押しになったのは確かです。ただ屋外で描く画家は以前からいて、チューブだけで生まれたわけではありません。
図工の時間に使った絵の具は、たいていチューブに入っていたはずです。ふたを回して開け、ぎゅっと押し出せば、すぐにパレットに色が並びます。
この金属のチューブが発明されたのは、19世紀の半ばのことでした。そして、この発明が屋外での制作を一気に身近にし、モネやルノワールたち印象派を生んだ、という話がよく語られます。印象派の画家ルノワール自身も、そんな趣旨のことを語ったと伝えられています。けれども、物語はもう少し複雑です。
豚のぼうこうに入っていた絵の具
チューブが登場する前、画家たちは絵の具をどうしていたのでしょうか。油絵の具は、色の粉である顔料を油で練って作ります。多くの画家は、工房で顔料をすりつぶし、自分たちで絵の具を練っていました。
作った絵の具を保存するのに使われたのが、豚のぼうこうです。袋に詰めて口をひもで縛り、使うときは針などで穴をあけて中身を絞り出しました。ただ、一度穴をあけると、残りの絵の具は乾いて固まりやすくなります。注射器のようなガラス管に詰める方法もありましたが、割れやすく、持ち運びには向きませんでした。
アメリカの肖像画家の発明
この不便を解決したのが、アメリカの肖像画家ジョン・ゴフ・ランドです。ロンドンで肖像画家として活動していた時期もあるランドは、1841年、錫(すず)でできた押しつぶせるチューブの特許をアメリカで取得しました。
チューブは軽くて割れにくく、ふたを閉めれば中の絵の具が乾きません。必要な分だけ押し出せるので、むだもありません。イギリスの画材会社ウィンザー&ニュートンなどがすぐにこの方式を取り入れ、チューブ入りの絵の具は広く出回るようになりました。
ルノワールの言葉
ルノワールの息子で映画監督のジャン・ルノワールは、父の思い出をつづった本の中で、父がこう語っていたと書いています。
チューブ入りの絵の具がなければ、セザンヌも、モネも、シスレーも、ピサロもいなかった。のちにジャーナリストたちが印象派と呼ぶことになるものは、何ひとつなかっただろう。
光や空気が刻々と変わる様子を、その場でとらえようとした印象派にとって、持ち運べる絵の具が大きな助けになったのは間違いありません。モネは1866年、高さ2.5メートルを超える大作『庭の女たち』を屋外で描くため、庭に溝を掘り、滑車でカンバスを上げ下げしながら仕上げたといいます。
屋外で描く画家は、前からいた
ただし、チューブが現れる前から、屋外で油絵を描く画家はいました。フランスの画家ピエール=アンリ・ド・ヴァランシエンヌは1780年代、ローマで屋外の風景を油絵の具で次々に写し取り、1800年に出版した本で、若い画家に屋外での習作を勧めています。1830年代には、パリ郊外のフォンテーヌブローの森に集まったバルビゾン派の画家たちが、戸外での制作を重ねていました。
印象派を後押ししたのも、チューブだけではありません。脚をたためるイーゼルと絵の具箱が一体になった携帯用の道具が、19世紀半ばに登場しました。さらに19世紀には、コバルトブルーやカドミウムイエロー、人工のウルトラマリンといった鮮やかな新しい顔料が次々と売り出され、1840年代には使われるようになっていました。印象派の明るい色づかいは、こうした新しい色にも支えられていたのです。
チューブ入り絵の具は、印象派をゼロから生み出したというより、すでに芽生えていた「外で描きたい」という流れを、ぐっと加速させた発明だったといえるでしょう。