タツノオトシゴはオスが出産する?
本当です。メスがオスのおなかの袋に卵を産み、オスがその中で子を育てて産みます。
水族館の水槽で、海藻に尾を巻きつけてじっとしているタツノオトシゴ。竜の子どもを思わせる姿から「竜の落とし子」と名づけられましたが、れっきとした魚の仲間です。
そのタツノオトシゴには、動物の中でもとびきり変わった習性があります。子どもを産むのが、メスではなくオスなのです。おなかを大きくふくらませているのは、じつはお父さんのほうです。
卵を渡すのはメス、受け取るのはオス
タツノオトシゴはヨウジウオ科の魚で、世界に50種近くが知られています。オスのおなかには「育児嚢(いくじのう)」と呼ばれる袋があり、ここが子育ての舞台になります。
繁殖の季節になると、オスとメスは寄り添って泳ぎ、体の色を明るくしたり、向きをそろえたりして、何度も求愛を繰り返します。気持ちが通じ合うと、2匹は向かい合って水中をゆっくりと昇っていき、メスが管のような器官をオスの育児嚢の入り口に差し込んで、卵を送り込みます。日本近海のタツノオトシゴでは、メスは数個ずつ卵を産んでは休むことを繰り返し、2時間ほどかけて合わせて40〜50個を産むとされています。
卵が受精するのは、そのあとオスの袋の中でです。ここで「産んでいるのがオスなら、そちらをメスと呼ぶべきでは?」と思うかもしれません。けれども生物学では、卵をつくるほうをメス、精子をつくるほうをオスと呼びます。卵をつくるのはあくまでメスで、オスはそれを預かって育てる係なのです。
袋の中は、ゆりかご以上
育児嚢は、卵をしまっておくだけの袋ではありません。卵は袋の内側のやわらかい組織に包まれ、オスはそこで酸素を届け、袋の中の塩分の濃さを整え、病原体から子どもを守ります。子どもの栄養はおもに卵黄でまかなわれますが、オスから脂質やカルシウムなどが補われていることも報告されています。
オーストラリアの研究者たちは、ポットベリー・シーホースというタツノオトシゴの育児嚢を、妊娠の時期ごとに顕微鏡で調べました。2021年に発表された結果によると、妊娠が進むにつれて袋の内側に細い血管が増え、とくに終盤に多くなっていきました。さらに、父親の血液と胎児とのあいだの距離が、どんどん縮まっていくこともわかりました。酸素や二酸化炭素を効率よくやりとりするための変化と考えられています。
こうした変化の多くは、哺乳類の妊娠中に子宮で起きる変化とよく似ているといいます。別の研究では、妊娠中の育児嚢で働く遺伝子の中に、哺乳類や爬虫類の妊娠にかかわる遺伝子と共通するものが見つかっています。魚と哺乳類という遠く離れたグループが、似た道具を使って「妊娠」のしくみを手に入れたのかもしれません。
お父さんの出産
卵が子どもの姿になるまでには、10日から1か月半ほど、ふつうは2〜3週間ほどかかるとされています。おなかがぱんぱんにふくらんだオスが体をくねらせると、育児嚢の口から、親とそっくりの形をした小さな子どもたちが次々と飛び出してきます。
一度に生まれる数は種類によってまちまちで、多くの種では100〜1000匹ほど。小さな種では5匹ほどのこともあれば、2500匹にのぼる例もあるといいます。生まれた子どもたちは、親の世話を受けることなく、すぐに自分の力で暮らし始めます。大人まで生き残れるのは0.5%にも満たないと見られていますが、それでも卵をばらまくだけの魚に比べれば、かなり高い割合なのだそうです。
子育ての負担は、オスにとっても軽くはありません。卵を受け取ったあとのオスは、受け取る前より30%以上も多くの酸素を消費するという報告もあります。
なぜオスが産むのか
オスが子を宿すしくみが、なぜ進化したのか。はっきりした答えはまだ出ていません。考えられている説のひとつは、オスが卵を育てているあいだに、メスが次の卵の準備を進められるので、そのぶん繁殖のサイクルを早く回せるというものです。
いずれにしても、タツノオトシゴの仲間は、オスが卵を守る習性を極限まで突きつめたグループだといえます。近縁のヨウジウオの仲間にも、オスが腹に卵を抱えて育てるものが多く見られます。