「やばい」はいつから使われている?
江戸時代にはすでに、「危ない」を意味する「やば」という言葉が使われていました。
「この料理、やばい」。そう言われたら、いまではたいてい「すごくおいしい」という意味でしょう。危ないときにも、驚いたときにも、感動したときにも使える「やばい」は、とても便利な言葉です。その一方で、「最近の若い人の言葉づかいは」と、眉をひそめられる代表格でもあります。
けれども、この言葉を「新しい日本語」だと思っているとしたら、少し事情が違います。「やばい」の祖先は、200年以上前の江戸の町で、すでに使われていたのです。
江戸の本に出てくる「やば」
文献をたどると、18世紀後半には「やば」という言葉が見つかります。意味は「危ない」「法に触れる」「具合が悪い」といったものでした。
よく知られているのが、十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』の一節です。19世紀の初めに刊行が始まったこの人気作に、「おどれら、やばなことはたらきくさるな」というせりふが出てきます。「おまえら、危ないことをしでかすんじゃないぞ」といった意味です。ここでの「やば」は、形容詞の「やばい」ではなく、「やばな」という形で使われています。
「やば」は、お上の目を気にしなければならない人々、たとえば盗人や博打打ちのあいだで使われる隠語だったともいわれます。この「やば」に形容詞をつくる「い」がついて「やばい」となり、その後も長いあいだ、裏社会や不良の言葉という色合いを帯びたまま使われ続けました。
「矢場」か「厄場」か、決め手のない語源
では、その「やば」はどこから来たのでしょうか。これについては、いくつかの説が語られています。
ひとつは「矢場」説です。江戸には、弓で的を射て遊ぶ「矢場」と呼ばれる遊技場がありました。表向きは遊び場でも、裏ではいかがわしい商売が行われることもあり、そこに近づくと役人に目をつけられて「やばい」ことになる、というものです。もうひとつは「厄場」説で、牢屋やその番人を指す言葉から来たとされます。ほかに、「あやぶい(危ぶい)」や「いやあぶない」が縮まったという説もあります。
ただ、どれも話としてはもっともらしいものの、決め手となる証拠はありません。国語辞典編纂者の飯間浩明さんは、「あやぶい」説などは文献に見当たらず信じるに足りないとしたうえで、「やば」の由来は不明と言うしかなさそうだ、と述べています。いつから使われているかはある程度たどれても、どこから来たのかはわからない。語源の世界では、珍しくないことです。
「危ない」から「すごい」へ
長いあいだ「まずい」「危ない」という意味で使われてきた「やばい」に、別の顔が加わったのは、昭和の後半のことです。1970年代には、ジャズミュージシャンのあいだで「ものすごい」という意味で使われていたことが、エッセイなどに記録されています。
その使い方が若い世代に広がったのは、1990年代の終わりごろからです。2000年代には国語辞典にも新しい意味が載るようになりました。文化庁が2015年1月に行った「国語に関する世論調査」では、「とてもすばらしい」という意味で「やばい」を使うことがあると答えた人は、全体で26.9%。ところが16〜19歳に限ると、およそ9割にのぼりました。
意味がひっくり返る言葉たち
悪い意味の言葉がよい意味に転じるのは、「やばい」だけではありません。
たとえば「すごい」。古語の「すごし」は、ぞっとするほど寂しい、恐ろしいという意味で使われていました。それが、程度がはなはだしいことを表すようになり、いまではほめ言葉の定番です。ぞっとするほどの迫力が、やがて「すばらしい」に変わっていったわけです。
「やばい」にも、同じような心の動きを感じます。危なっかしいほどおいしい、どうにかなりそうなほど感動した。言葉は、使う人の気持ちの振れ幅に合わせて、ときに意味をひっくり返しながら生き延びていくのです。