「いただきます」はいつから言うようになった?
食前の挨拶として広く定着したのは明治以降、とくに昭和に入ってからと考えられています。
食卓について、箸をとる前に手を合わせ、「いただきます」。日本で育った人なら、幼いころから当たり前のようにくり返してきた言葉です。海外の人に日本の食文化を紹介するとき、この挨拶を美しい習慣として挙げる人も少なくありません。
いかにも古くからの伝統に見えるこの習慣ですが、実は、日本中の家庭で言われるようになったのは、それほど昔のことではないようです。
「いただく」は頭の上に載せること
まずは言葉の成り立ちから見てみましょう。「いただく」は、漢字で「頂く」「戴く」と書きます。「頂(いただき)」は、山頂の頂、つまりいちばん上のこと。人間でいえば頭のてっぺんです。「いただく」はもともと、物を頭の上に載せる動作を表す言葉でした。
昔の人は、身分の高い人から物を授かるとき、それを頭の上に高くかかげて、うやうやしく受け取りました。そこから「いただく」は、「もらう」をへりくだって言う言葉になり、さらに「食べる」「飲む」の謙譲語としても使われるようになります。神前の儀式などで、供えた食べものを頭や額の高さまでかかげてから口にしたことが、食べものを「いただく」の始まりだともいわれます。
意外に新しい食卓の習慣
言葉そのものは中世から使われていましたが、食事の前に家族そろって「いただきます」と言う習慣となると、話は別です。1980年代に国立民族学博物館が行った聞き取り調査によると、家族それぞれが自分用の箱に食器をしまい、そのふたを膳にして食べていた箱膳の時代には、「いただきます」は決して一般的な挨拶ではなかったといいます。
食事の前後の挨拶は、地域や家によってまちまちで、黙って食べはじめる家も多かったようです。民俗学者の柳田國男も、「いただきます」は近ごろ広まった言葉だという趣旨のことを書き残しています。文献をたどると、明治の半ばごろには、箸をとる前に「戴きます」と言うことに触れた記述が現れます。
学校が広めた「いただきます」
では、この挨拶はどうやって全国に広まったのでしょうか。大きな役割を果たしたと考えられているのが、学校教育です。
明治の終わりから大正にかけて、礼儀作法を説く本などに、食事の初めと終わりに「いただきます」「ごちそうさま」と挨拶するよう書かれるようになります。さらに昭和に入ると、学校でのしつけや戦時中の教育を通じて、全員が声をそろえて言う習慣が定着していきました。戦後は学校給食がそれを引き継ぎ、クラス全員で手を合わせる光景が、日本中の教室で見られるようになります。家庭でも、銘々の膳に代わって家族がひとつのちゃぶ台を囲むようになり、声をそろえて挨拶をする習慣を後押ししたと考えられています。
手を合わせる仕草が仏教の合掌に似ていることから、「いただきます」には命をいただくことへの感謝が込められている、と説明されることもよくあります。そうした意味づけは素敵なものですが、言葉の成り立ちや習慣の広まり方とは、分けて考えたほうがよさそうです。
世界の食卓のひとこと
「いただきます」にぴったり当てはまる言葉は、外国語にはなかなか見つかりません。フランス語の「ボナペティ」は、直訳すれば「よい食欲を」。一緒に食べる相手に向かって「召し上がれ」と呼びかける言葉で、自分がへりくだって言う「いただきます」とは向きが逆です。
キリスト教の家庭では、食前に神への感謝の祈りを捧げる習慣があります。感謝を表すという点では似ていますが、祈りはいくつもの文からなり、ひとことの挨拶とは趣が異なります。短いひとことで食べものと作ってくれた人の両方に敬意を示す「いただきます」は、やはり日本語ならではの表現といえるでしょう。