「さよなら」の語源は?
「左様ならば(そういうことならば)」の「ば」が省かれて、別れの挨拶として定着した言葉です。
学校の帰り道、手を振りながら「さようなら」。卒業式や引っ越しのときには、少しさみしい響きをもって聞こえる言葉です。最近の大人どうしは「では、また」「お疲れさまです」と言うことが多く、「さようなら」はかえって改まった、重みのある言葉になってきました。
この言葉、よく考えると不思議な形をしています。「おはよう」や「ありがとう」と違って、何かを祝ったり、感謝したりする意味がどこにも見当たりません。いったい、何を言っている言葉なのでしょうか。
「左様ならば」の短縮形
「さようなら」のもとの形は、「左様ならば(さようならば)」です。「左様(さよう)」は「そのよう」「そのとおり」という意味の言葉で、「然様」とも書きます。時代劇で家来が「さようでございます」と答える、あの「さよう」です。これに「ならば」がついて、「そういうことならば」「それならば」という意味になります。
つまり「左様ならば」は、もともと話をつなぐための接続詞でした。江戸時代には、用事がすんで帰るときに「左様ならば、これにて失礼いたします」のように使われていたといいます。そのうち、後ろに続く「失礼します」が省かれ、さらに「ば」も落ちて、「さようなら」だけで別れを告げる言葉になりました。別れの挨拶として定着したのは、江戸時代の後期とされます。「さよなら」は、それをさらに縮めた言い方です。
平安時代の「さらば」も同じ仕組み
実は、これと同じ形の別れの言葉が、もっと古くからありました。時代劇でもおなじみの「さらば」です。
「さらば」は「然(さ)あらば」が縮まった言葉で、意味は「そうであるならば」。つまり「左様ならば」と同じです。平安時代の『源氏物語』にも、別れ際に「さらば」と言って立ち去る場面が出てきます。千年前の人も、私たちと同じように「それなら」と言って別れていたのです。
「それでは」で別れる日本語
ほかの日本語の別れの言葉を思い浮かべてみると、同じ形のものがたくさんあることに気づきます。「では」「じゃあ」「それでは」「それじゃ、またね」。どれも「それならば」と同じく、話をしめくくって次へ進むときの言葉です。
世界の別れの言葉と比べると、その特徴がよくわかります。フランス語の「アデュー」やスペイン語の「アディオス」は「神のもとに」、つまり相手を神にゆだねる言葉です。中国語の「再見(ツァイチェン)」は「また会いましょう」という再会の約束です。それに対して日本語の「さようなら」は、祈りも約束も口にせず、ただ「そういうことならば」と、別れの事実を静かに受け入れます。
「いちばん美しい別れの言葉」
この「さようなら」に心を動かされた外国人がいます。1931年、夫のチャールズ・リンドバーグとともに飛行機で北太平洋を越え、日本を訪れたアメリカの作家アン・モロー・リンドバーグです。
彼女はこの旅を記した本『翼よ、北に』の中で、文字どおりに訳せば「そうならなければならないなら」という意味のこの言葉こそ、これまで聞いた別れの言葉のなかでいちばん美しいと書きました。そのくだりの趣旨をまとめると、次のようになります。
別れを惜しむ気持ちを言葉にしすぎず、手を握るように、ただ「さようなら」と言う。
彼女が感じ取ったのは、多くを語らずに別れを受け入れる、そのつつましさだったのでしょう。毎日なにげなく使っている言葉が、外から見ると、とても詩的な響きをもっていたのです。