「パン」はポルトガル語?
はい。16世紀に来日したポルトガル人の言葉「pão(パン)」が由来とされます。英語ではありません。
食パン、あんパン、カレーパン、メロンパン。日本のパン屋さんの棚には、「パン」のつく名前がずらりと並びます。カタカナで書くので、なんとなく英語だと思っている人もいるかもしれません。
けれども英語でパンは「ブレッド(bread)」です。英語の「pan」は、フライパンの「パン」と同じく、平たい鍋のことを指します。では、日本語の「パン」はどこから来たのでしょうか。
南蛮人がもたらした「pão」
日本語の「パン」のもとになったのは、ポルトガル語の「pão」だとされています。発音は、鼻にかかった「パォン」に近い音です。
ポルトガル人が日本にやってきたのは16世紀の半ばのことでした。1543年に種子島に漂着したポルトガル人が鉄砲を伝えたことはよく知られていますが、彼らはパンも持ちこみました。その後、キリスト教の宣教師たちが各地で布教を進めると、パンを食べる習慣も少しずつ伝わっていきます。キリスト教の儀式にはパンが欠かせなかったのです。織田信長がパンを食べたという記述も残っているとされています。
ちなみに、スペイン語では「pan」、フランス語では「pain」、イタリア語では「pane」と、ヨーロッパの多くの言葉でパンは似た音をしています。どれも、ラテン語でパンを意味する「panis」から生まれた兄弟の言葉です。
禁教とともに消えかけたパン
ところが、パンはそのまま日本に根づいたわけではありませんでした。江戸幕府がキリスト教を禁じ、やがて鎖国の体制をとると、キリスト教と結びついていたパンづくりも、ほとんど途絶えてしまいます。
その後も、パンは長崎の出島で暮らすオランダ人のための食べものとして、細々と焼き続けられました。1712年に完成した百科事典『和漢三才図会』には、蒸餅(まんじゅうのあんのないもの)の説明として、「オランダ人は食事ごとに一つずつ食べて常食としており、彼らはこれをパンと呼ぶ」という意味のことが書かれています。日本人にとってパンは、まだ遠い異国の食べものだったのです。
「パン祖」江川太郎左衛門
パンが再び注目されたのは、意外にも軍事がきっかけでした。
江戸時代の終わり、伊豆の韮山(いまの静岡県伊豆の国市)の代官だった江川太郎左衛門英龍(ひでたつ)は、西洋の砲術を学んだ、海防に熱心な人物でした。江川は、戦場でご飯を炊けば煙が上がり、敵に居場所を知られてしまうと考えます。そこで目をつけたのが、持ち運びができて日持ちのするパンでした。
江川は、長崎でパンづくりを学んだ人物を韮山に呼び寄せ、自宅にパン焼き窯をつくらせました。そして天保13年(1842年)4月12日、兵士の食料としての**「兵糧(ひょうろう)パン」**を焼き上げたとされています。保存がきくよう、かたく焼きしめたパンでした。
この功績から、江川はいまでも日本のパン業界で「パン祖」と呼ばれています。パン食普及協議会は1982年、この4月12日にちなんで、毎月12日を「パンの日」と定めました。
外国語が「日本語」になるまで
明治時代になると、パンは日本人のあいだにも少しずつ広まっていきます。このころは「麺麭」という漢字をあてて書くこともありました。1874年には、銀座の木村屋(いまの木村屋總本店)の木村安兵衛が、酒まんじゅうに使う「酒種」でパン生地をふくらませたあんパンを売り出し、大評判となりました。
パンのほかにも、ポルトガル語から日本語に入った言葉はたくさんあります。「カルタ」は「carta(カード)」、「ボタン」は「botão」から来たとされています。どれも、もとが外国語だったとは思えないほど、すっかり日本語として定着しています。