「ロボット」という言葉を作ったのは誰?
チェコの画家ヨゼフ・チャペックです。弟カレルの戯曲『R.U.R.』で世界に広まりました。
1920年
掃除ロボット、産業用ロボット、火星を走る探査ロボット。いまや「ロボット」という言葉を聞かない日はないほどです。子ども向けのアニメから最先端の研究まで、これほど幅広く使われている言葉もそう多くありません。
けれども、この言葉の歴史は意外なほど短く、ほんの100年余りしかありません。それ以前には、世界のどの言語にも「ロボット」という単語は存在しなかったのです。では、最初にこの言葉を思いついたのは誰だったのでしょうか。
戯曲『R.U.R.』の人造人間たち
「ロボット」という言葉が初めて世に出たのは、1920年にチェコの作家カレル・チャペックが発表した戯曲『R.U.R.』でした。題名は「ロッサム・ユニバーサル・ロボット社」の頭文字です。
物語の舞台は、人間のかわりに働く人造人間を大量生産する工場です。疲れを知らず、文句も言わずに働くロボットたちは世界中に売られていきますが、やがて人間に反旗をひるがえします。作られた存在が作り手に逆らうという、いまでは定番となった筋書きの、いわば元祖です。
翌1921年1月にはプラハの国民劇場で上演され、劇はたちまち評判になりました。1923年までに30の言語に翻訳されたといわれ、「ロボット」という言葉も、劇とともに国境を越えて広がっていきました。
名付け親は兄だった
ところが、作者のカレル自身は、この言葉を考えたのは自分ではないと、何度も語っています。本当の名付け親は、兄で画家のヨゼフ・チャペックだというのです。
1933年12月、カレルはチェコの新聞『リドヴェー・ノヴィニ』に、そのいきさつを書いています。戯曲の構想を思いついたカレルは、すぐに兄のアトリエへ向かいました。ヨゼフはちょうどキャンバスに向かって絵を描いているところでした。カレルが「人造の労働者を何と呼べばいいかわからない。ラテン語の labor から『ラボリ』とでもしようかと思うけれど、どうも堅苦しくて」と相談すると、ヨゼフは筆を口にくわえたまま、「じゃあ、ロボットにすればいい」とつぶやき、そのまま絵を描き続けたといいます。
世界中で使われる言葉が、絵筆をくわえた画家のひとことから生まれたことになります。ヨゼフは画家としてだけでなく、作家や挿絵画家としても知られる人物でした。
「robota」は「苦役」
ヨゼフが持ち出したのは、チェコ語の robota(ロボタ) という言葉でした。これは、かつて農奴が領主のために強いられた賦役、つまり無償の強制労働を指す言葉です。つまり「ロボット」には、もともと「働かされる者」という響きが込められていたのです。
もうひとつ意外なのは、『R.U.R.』のロボットが、金属でできた機械ではなかったことです。劇中のロボットは、人工的につくった有機物から組み立てられる、見た目は人間とほとんど変わらない存在でした。いまの言葉でいえば、アンドロイドや人造人間に近いものです。歯車とボルトでできた「ロボット」のイメージは、その後の映画や小説のなかで形づくられていきました。
日本にやってきた「人造人間」
『R.U.R.』は日本にも早くから紹介されました。1924年7月には、東京の築地小劇場で『人造人間』という題で上演されています。こうして「ロボット」という言葉は、日本でも少しずつ知られるようになりました。
1928年には、生物学者の西村真琴が、京都で開かれた博覧会に人造人間「学天則」を出品しています。表情を変えたり、ペンを動かしたりする大きな人形で、東洋で最初のロボットとも呼ばれています。チェコの兄弟が生んだ言葉は、わずか数年で海を越え、日本のものづくりの夢にも火をつけたのです。