「どうも」はもともとどういう意味?
「どうしても」「なんだか」を表す副詞でした。「どうもありがとう」などが略され、あいさつになりました。
エレベーターでドアを押さえてもらったら「あ、どうも」。久しぶりに会った知人には「やあ、どうもどうも」。うっかり人の足を踏んでしまったときも「どうも、すみません」。「どうも」は、日本語のなかでもとりわけ出番の多い言葉です。
けれども、よく考えると不思議です。「ありがとう」なら感謝、「すみません」ならおわびと、はっきり意味があります。では「どうも」は、いったい何を言っているのでしょうか。その答えを探しに、言葉の来歴をさかのぼってみましょう。
「どう」に「も」がついた言葉
「どうも」は、「どう考えても」の「どう」に、助詞の「も」がついてできた言葉です。もともとは、あいさつではなく、ほかの言葉を修飾する副詞でした。
古い使い方のひとつが、「どうも〜ない」という打ち消しの形です。「いろいろやってみても、どうしてもだめだ」という意味で、いまでも「何度やってもどうもうまくいかない」のように使います。『日本国語大辞典』は、室町時代の終わりから江戸時代の初めごろの狂言の台本に、この意味の「どうも」が登場する例を挙げています。
「なんだか」「いやはや」の「どうも」
江戸時代になると、「どうも」の使い道はぐっと広がります。
ひとつは、「なんとも」「いやはや」と、言いようのない気持ちを表す使い方です。18世紀の笑い話の本には「どうもねむい」という一節が見られ、式亭三馬の滑稽本『浮世床』にも、あきれた気持ちを込めた「どうも」が出てきます。
もうひとつは、「どうやら」「なんだか」と、はっきりしない推測を表す使い方です。「どうも雨になりそうだ」「どうも調子がおかしい」の「どうも」ですね。江戸時代後期の人情本にはすでに見られ、明治の夏目漱石の小説にも登場します。
どの使い方にも共通しているのは、「うまく言い表せない」という気持ちです。どう考えても、どう言っても、ぴったりくる言葉が見つからない。「どうも」は、そんなもどかしさを背負った言葉だったのです。
「どう言ったらいいか」が感謝になる
この「言い表せない」という感覚が、やがてお礼やおわびと結びつきます。「どうもありがとう」は、「どう申し上げたらいいかわからないほど、ありがとう」という気持ちを表す言い方です。「どうもすみません」も同じで、言葉では言い尽くせないほど申し訳ない、という意味になります。
明治時代の坪内逍遙の小説『当世書生気質』(1885〜86年)には、待たせた相手に「いやどうも」とおわびをする場面があります。この時代には、感謝やおわびに添える「どうも」がすっかり定着していたようです。
後ろを省いて、あいさつに
そして、ここからが面白いところです。「どうもありがとう」の「ありがとう」、「どうもすみません」の「すみません」を省いて、「どうも」だけで済ませる使い方が生まれました。
尾崎紅葉の小説『多情多恨』(1896年)には、「先日は如何(どう)も」というせりふが出てきます。先日はお世話になりました、なのか、失礼しました、なのか。肝心なところは言わずに、「どうも」だけで気持ちを伝えています。明治の半ばにはもう、いまと同じような「どうも」のあいさつが使われていたわけです。
感謝なのか、おわびなのか、ただのあいさつなのか。言わなくても、場面と表情で伝わる。だからこそ「どうも」は、気軽で便利なひとことになったのでしょう。「言い表せない」ことを表す言葉が、いつの間にか「言わなくても通じる」言葉になった。そう考えると、「どうも」の歩んできた道は、なかなか味わい深いものがあります。