「ボイコット」は人の名前?
はい。1880年、アイルランドで地域ぐるみで締め出された英国人の土地差配人の名字です。
選手が大会をボイコットする。消費者がある会社の商品をボイコットする。抗議のために、参加や取り引きをいっせいに拒むことを「ボイコット」といいます。日本語でもすっかり定着した言葉です。
この言葉は、英語では boycott と書きます。じつはこれ、もともとは人の名字でした。チャールズ・ボイコットという、19世紀のイギリス人の名前なのです。いったい彼は、どんな目にあったのでしょうか。
アイルランドの土地差配人
チャールズ・カニンガム・ボイコットは、1832年にイギリスで生まれました。軍人を経て、1873年からアイルランド西部のメイヨー県で、イギリスの貴族アーン伯爵の領地を管理する「土地差配人」として働いていました。小作人から地代を集め、領地を切り盛りするのが仕事です。
当時のアイルランドでは、土地の多くをイギリス系の大地主が持ち、農民たちは小作人として地代を払って暮らしていました。不作に見舞われた1870年代の終わりには、地代を払えない小作人が増え、土地を追い出される人も相次ぎます。1879年には、小作人の権利を守るための組織「アイルランド国民土地同盟」が結成されました。
1880年、ボイコットが管理する領地の小作人たちは、地代を25%下げてほしいと求めます。地主側が示したのは10%の引き下げでした。話がまとまらないまま、9月、ボイコットは地代を払わない小作人たちを立ち退かせる手続きに乗りだしました。
「暴力ではなく、無視を」
ちょうどそのころ、土地同盟の指導者チャールズ・スチュアート・パーネルは、1880年9月19日の演説で、新しい抵抗のやり方を呼びかけていました。他人が追い出された土地を借りる者がいたら、暴力をふるうのではなく、道で会っても、町でも、店でも、徹底的に避けて孤立させよう、というのです。
この方法が、真っ先にボイコットに向けられました。屋敷の使用人や農場の働き手は次々と去り、地元の店は彼に物を売らなくなりました。洗濯を請け負っていた女性も仕事をやめるよう命じられ、電報の配達人は道で脅されたといいます。収穫の時期を迎えても、畑の作物を刈り入れる人がいません。
作物500ポンドに費用1万ポンド
この騒ぎは新聞で大きく報じられました。11月には、アイルランド北部のアルスター地方から約50人が刈り入れの手伝いにやってきます。ところが、彼らを守るために、軍隊に加えて1000人を超える警察官が動員されることになりました。
刈り入れた作物の価値はおよそ500ポンドだった一方、この作戦にかかった費用は1万ポンドほどにのぼったと推定されています。わずかな作物を守るために、その20倍ものお金がかかったのです。結局、ボイコット一家は12月1日、船でアイルランドを去りました。
名前が世界の言葉に
「ボイコット」が動詞として使われはじめたのも、この1880年の秋のことです。地元の神父が、この締め出しを表す言葉として考えだしたともいわれます。彼の名前は新聞を通じてたちまち広まり、「ボイコットする」という言い方が定着していきました。
やがてこの言葉は、フランス語、ドイツ語、オランダ語、イタリア語、ポーランド語、ロシア語など、さまざまな言語に取り入れられていきます。日本語の「ボイコット」もそのひとつです。一人の土地差配人の名字が、世界中で「集団で締め出すこと」を意味する言葉になったのです。
ボイコット本人はその後イギリスに戻り、1897年に亡くなりました。自分の名字が抗議の代名詞として世界を駆けめぐるのを、どんな気持ちで見ていたのでしょうか。