富士山はいつできた?
数十万年前から火山が積み重なり、今の山の姿は約1万年前からの噴火で形づくられました。
1707年
新幹線の窓から、あるいは東京のビルの上から、晴れた日に富士山が見えると、なんだか得をした気分になります。標高3776メートル、なだらかな裾野を左右に広げた円すい形の姿は、日本を象徴する風景のひとつです。
けれども、この山は大昔からずっとこの形でそこにあったわけではありません。富士山は今も活火山で、長い時間をかけて、噴火のたびに姿を変えてきました。しかもその内部には、いくつもの古い火山が、まるで建物の階のように積み重なっているのです。
4階建ての火山
富士山の成り立ちは、よく「4階建て」にたとえられます。
いちばん下の1階にあたるのが「先小御岳(せんこみたけ)火山」です。この火山は地表からは見えません。2004年、東京大学地震研究所が行ったボーリング調査によって、富士山の地下に埋もれているのが見つかりました。数十万年前に活動していた火山と考えられています。
2階が「小御岳火山」で、約10万年前までに活動を終えたとされます。その頂上は、今の富士山の北側の中腹に、わずかに顔をのぞかせています。富士スバルラインの終点、五合目にある小御岳神社のあたり(標高約2300メートル)が、かつての小御岳火山の山頂部だと考えられているのです。観光客でにぎわうあの五合目は、いわば「先代の富士山」の頂上というわけです。
3階は「古富士火山」です。約10万年前、小御岳火山の南側の斜面で噴火が始まり、火山灰や火山礫を噴き上げる爆発的な噴火をくり返して、大きな山に育ちました。古富士が噴き上げた火山灰は偏西風に乗って南関東一帯に降り積もり、関東地方の赤土「関東ローム層」の一部になっています。
そして最上階、私たちが今見ている山体が「新富士火山」です。約1万1000年前からは、大量の溶岩を流し出す噴火が多くなり、古富士をすっぽり覆い隠すように成長しました。なお、それぞれの火山の年代は研究によって見積もりに幅があり、新しい調査による見直しも続いています。
3つのプレートが出会う場所
富士山がこれほど大きく育ったのには、その場所に理由があると考えられています。富士山の真下付近は、フィリピン海プレート、ユーラシアプレート(アムールプレート)、北アメリカプレート(オホーツクプレート)という3つのプレートの境界が接するところにあたります。沈み込んだプレートの裂け目から、長いあいだ大量のマグマが供給され続けてきたのではないか、という考えが提唱されています。
富士山の体積は400立方キロメートル以上。玄武岩でできた成層火山としては、日本最大です。玄武岩の溶岩は粘り気が少なく、流れやすいのが特徴です。山頂や山腹から流れ出た溶岩が四方に広がっては積み重なることで、あの美しい裾野が形づくられてきました。
最後の噴火は1707年
文字の記録に残る富士山の噴火は、8世紀以降、少なくとも10回あります。864年の「貞観噴火」では、北西のふもとから大量の溶岩が流れ出し、当時あった大きな湖を埋め立てて、今の西湖と精進湖が生まれました。このとき流れた溶岩の上に広がった森が、青木ヶ原樹海です。
そして、記録に残る最後の噴火が、1707年の宝永大噴火です。この年の10月、東海から四国にかけての広い範囲を宝永地震が襲いました。その49日後の12月16日、富士山の南東の斜面で噴火が始まり、約2週間にわたって大量の軽石や火山灰を噴き上げたのです。
火山灰は偏西風に乗って、約100キロメートル離れた江戸にも降り注ぎました。学者の新井白石は、白い灰が雪のように降り、昼間でも暗くなったと書き残しています。ふもとの村々では田畑が厚い砂に覆われて作物が育たなくなり、復興には長い年月がかかりました。
この噴火でできた火口と、そのそばの盛り上がり「宝永山」は、今も南東の斜面に大きくえぐれた姿で残っています。静岡県の富士市や富士宮市のあたりから眺めると、山の右肩の中腹に見えるくぼみがそれです。
宝永大噴火から300年あまり、富士山は噴火していません。それでも富士山は、気象庁が24時間体制で観測を続けている活火山のひとつです。