インスタントラーメンを発明したのは?
一般には日清食品の安藤百福。1958年、麺を油で揚げて乾かす方法で「チキンラーメン」を生みました。
1242億食
お湯を注いで数分待てば、湯気の立つラーメンができあがる。インスタントラーメンは、台所の棚にも、災害用の備えにも、登山のリュックにも入っている、身近な食べものです。
世界ラーメン協会によると、2025年に世界で食べられたインスタントラーメンは約1242億食。地球上の1人あたりにすると、年に15食ほどになります。この食品を生み出したのは誰だったのでしょうか。
裏庭の小屋で、たった一人の研究
一般に「インスタントラーメンの生みの親」とされているのは、日清食品の創業者、安藤百福です。1910年に台湾で生まれた安藤は、戦後の大阪で事業を営んでいましたが、引き受けていた信用組合の理事長職が裏目に出て、財産のほとんどを失ってしまいます。
そこで取り組んだのが、家庭でお湯さえあればすぐに食べられるラーメンでした。大阪府池田市の自宅の裏庭に小さな小屋を建て、道具も材料も自分でそろえて、たった一人で研究を始めます。日清食品によると、1年間、1日も休まず、睡眠は平均4時間ほどだったといいます。このとき安藤は48歳でした。
目標は5つありました。おいしいこと、保存がきくこと、調理が簡単なこと、値段が安いこと、そして安全で衛生的であることです。
ひらめきは天ぷらから
いちばんの難題は、麺を長く保存できるように乾かし、しかもお湯ですぐに元に戻るようにすることでした。ヒントになったのは、妻の仁子が台所で揚げていた天ぷらだったと伝えられています。
衣を高温の油に入れると、中の水分が勢いよく飛び出し、あとに細かな穴が残ります。安藤は、味をつけた蒸し麺を油で揚げれば、同じように水分が抜けて乾燥し、お湯を注げばその穴から湯がしみこんで、やわらかく戻るはずだと考えました。これが「瞬間油熱乾燥法」です。
こうして完成した「チキンラーメン」は、1958年8月25日に発売されました。「お湯をかけて2分」で食べられる手軽さから「魔法のラーメン」と呼ばれます。値段は1食35円。うどん玉が1つ6円ほどの時代ですから、かなりのぜいたく品でした。それでも注文が殺到し、生産が追いつかないほどの人気になります。
「最初の一杯」は一つではなかった
ただし、1958年に即席のラーメンを売り出したのは、日清食品だけではありませんでした。同じ年の春には、安藤と同じ台湾出身の張國文が営む東明商行が「長寿麺」を、また大和通商が「鶏糸麺」を発売しています。
似た商品が相次いだことで、製法の特許や「元祖」の名をめぐる争いも起こりました。日清食品は1961年、東明商行が出願していた「味付乾麺の製法」の特許を2300万円で買い取ります。そして1964年には、業界団体「日本ラーメン工業協会」が設立され、安藤が初代理事長に就きました。特許を一社で抱え込むのではなく、業界全体で育てていく道を選んだのです。
つまり「最初に即席麺を売った人」は一人に決めにくいのですが、麺を蒸して味をつけ、油で揚げて乾かすという、いまも続く基本の製法を確立したのはチキンラーメンだった、というのが一般的な見方です。
紙コップとフォークから、世界へ
次の転機は、1966年のアメリカ視察でした。現地のスーパーの担当者たちが、チキンラーメンを割って紙コップに入れ、お湯を注いでフォークで食べる姿を目にしたのです。どんぶりも箸もない国で受け入れられるには、容器ごと売ればいい。そう考えた安藤は、カップ入りの即席麺の開発に取りかかります。
1971年9月18日に発売された「カップヌードル」は、世界初のカップ麺になりました。容器の中で麺のかたまりを宙に浮かせるように固定し、輸送中に割れにくくするなど、細かな工夫が詰まっています。
こうしてインスタントラーメンは国境を越え、いまでは中国・香港やインドネシア、インドなどで、とりわけ多く食べられています。