世界初のコンピューターは?
定義しだいです。Z3、ABC、コロッサス、ENIACなどが、それぞれ別の意味で「初」を名乗れます。
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世界で最初のコンピューターは何か。そう聞かれて、アメリカの「ENIAC(エニアック)」と答える人は多いでしょう。部屋を埋め尽くす巨大な機械の写真は、教科書でもおなじみです。
けれども、コンピューターの歴史にくわしい人ほど、この質問には慎重になります。「何をもってコンピューターと呼ぶか」によって、答えがいくつにも分かれてしまうからです。
「コンピューター」の条件とは
ひと口にコンピューターといっても、注目する点はさまざまです。電気で動くのか、歯車や電磁石のスイッチで動くのか。数を0と1のデジタルで扱うのか。計算の手順を、機械を作り直さずに入れ替えられる、つまりプログラムできるのか。どんな計算にも使える汎用の機械なのか。こうした条件のどれを重視するかで、「世界初」の座に座る機械が入れ替わります。
設計図に描かれた19世紀の計算機
発想の源をたどると、19世紀イギリスの数学者チャールズ・バベッジに行き着きます。彼は1820年代から歯車で数表を自動計算する「階差機関」に取り組み、1830年代には、計算の手順をパンチカードで与え、数を蓄える装置と計算する装置を分けた「解析機関」を構想しました。今日のコンピューターに通じる考え方です。
1843年には、数学者エイダ・ラブレスが解析機関についての解説を発表し、ベルヌーイ数という数を計算する手順を書き記しました。これが世界初のプログラムと呼ばれることもあります。ただ、当時の工作技術や資金の問題もあり、バベッジの機械はどれも完成しませんでした。
戦争のさなかに生まれた機械たち
実際に動く機械が現れたのは、20世紀の戦争の時代です。1941年5月、ドイツの技術者コンラート・ツーゼは、ベルリンで「Z3」を披露しました。約2600個の電磁式のスイッチ(リレー)で動き、穴をあけたフィルムでプログラムを与える仕組みで、実際に動いた最初のプログラム可能な全自動のデジタル計算機とされています。本物は1943年の空襲で失われましたが、のちに復元機が作られました。
同じころアメリカのアイオワ州立大学では、ジョン・アタナソフと大学院生のクリフォード・ベリーが、真空管を使って電子的に計算する機械を作っていました。頭文字から「ABC」と呼ばれるこの機械は、1939年に試作機が動き、1942年には本体の試験に成功しました。ただし、プログラムを入れ替えることはできず、連立方程式を解くための専用機でした。
イギリスでは1944年、ドイツ軍の暗号を解読するための電子計算機「コロッサス」がブレッチリー・パークで動きはじめます。プログラム可能な電子式デジタル計算機としては、これが世界初とされています。ところが、その存在は1970年代半ばまで国家機密とされていました。
ENIACと1973年の判決
ENIACは、アメリカ陸軍の依頼でペンシルベニア大学が開発し、1945年に完成、翌1946年2月に公開されました。真空管はおよそ1万8000本、重さは約27トン。プログラムできる、電子式の、汎用のデジタル計算機という条件をすべて満たした最初の機械とされ、新聞は「巨大な頭脳」と書き立てました。
ところが、話はここで終わりません。ENIACの開発者たちは1964年に特許を取得しましたが、1973年、アメリカの連邦地方裁判所がこれを無効と判断したのです。判決は、ENIACの開発者が電子式デジタル計算機の発想をアタナソフから得ていたと認め、アタナソフを最初の電子式デジタル計算機の発明者として法的に位置づけました。開発者のひとりが、1941年にアタナソフのもとを訪れてABCを見ていたことが、その理由のひとつとされました。
結局、「世界初のコンピューター」はひとつに決まりません。それぞれの機械が、それぞれの意味で「初」を名乗れるのです。