「エリーゼのために」のエリーゼは誰?
はっきりとはわかっていません。テレーゼ・マルファッティ説など、複数の候補が挙がっています。
ミ、レ♯、ミ、レ♯、ミ……。ゆらゆらと揺れるような冒頭のメロディーを聴けば、多くの人がすぐに曲名を言い当てられるでしょう。ベートーヴェンの『エリーゼのために』は、ピアノ学習者の定番であり、世界でもっとも親しまれているピアノ曲のひとつです。
これほど有名な曲なのに、題名に登場する「エリーゼ」が誰なのかは、はっきりしていません。手がかりになるはずの自筆の楽譜が、行方不明になっているからです。
作曲者の死後に見つかった曲
『エリーゼのために』は、正式にはイ短調のバガテル(小品)で、作品番号のない作品として「WoO 59」という番号で整理されています。ベートーヴェンの生前には出版されませんでした。
この曲を世に出したのは、ドイツの音楽学者ルートヴィヒ・ノールです。ノールは1865年、バベッテ・ブレドルという女性が持っていた自筆譜を書き写させてもらい、1867年に出版しました。ベートーヴェンが亡くなってから40年後のことです。ノールの伝えるところでは、楽譜には「エリーゼのために 4月27日 L. v. ベートーヴェンの思い出に」という意味の書き込みがあったといいます。この日付は、1810年のものと考えられています。
ところが、その自筆譜はその後行方がわからなくなり、現在まで見つかっていません。私たちが知る「エリーゼ」という名前は、ノールが書き写した文字だけが頼りなのです。
有力候補は「テレーゼ」
そこで浮上したのが、「エリーゼ」はノールの読み間違いではないか、という説です。20世紀前半、ドイツの研究者マックス・ウンガーは、もとの題名は「テレーゼのために」だったのではないかと考えました。
候補となったのは、テレーゼ・マルファッティという女性です。ベートーヴェンの友人でありピアノの弟子でもあった人物で、ベートーヴェンは1810年ごろ、彼女に求婚しようとしていたともいわれます。しかも、ブレドルの息子は、のちにテレーゼの楽譜類を受け継いでいました。自筆譜がテレーゼの手元から流れてきたと考えれば、話の筋は通ります。ベートーヴェンの字は読みにくいことで有名で、「Therese」が「Elise」に見えてもおかしくない、というわけです。
この「テレーゼ説」は長く定説のように語られてきました。ただ、自筆譜が失われている以上、本当に読み間違いだったのかを確かめるすべはありません。
新たに挙がった二人の「エリーゼ」
21世紀に入ると、本当に「エリーゼ」という名の女性がいたのではないか、という研究が相次ぎます。
2010年、ドイツの音楽学者クラウス・マルティン・コピッツは、ソプラノ歌手のエリーザベト・レッケルを候補に挙げました。ベートーヴェンの歌劇『フィデリオ』に出演した歌手ヨーゼフ・アウグスト・レッケルの妹で、1810年当時は17歳。「エリーゼ」と呼ばれることもあったとされ、コピッツは、ベートーヴェンが彼女との結婚を望んでいた可能性もあると考えています。エリーザベトは1813年、ベートーヴェンの友人でもあった作曲家フンメルと結婚しました。
2014年には、音楽史家リタ・ステブリンが、もう一人の候補として、エリーゼ・バーレンスフェルトという少女の名前を挙げました。当時13歳で、神童として知られた歌手だったといいます。ただし、ステブリン自身もこの説は確かなものではないと認めています。
謎のままの名曲
結局のところ、エリーゼが誰なのか、決め手となる証拠はまだ見つかっていません。テレーゼなのか、エリーザベトなのか、それとも別の誰かなのか。自筆譜が再び見つからない限り、答えは出ないのかもしれません。
一方で、曲そのものの研究は進んでいます。ベートーヴェンは1822年ごろ、この曲に手を入れ直していたことがわかっており、伴奏の形を大きく変えた改訂版の楽譜が、研究者バリー・クーパーによって読み解かれています。親しい誰かへの贈り物として書かれた小品を、晩年のベートーヴェンが曲集に加えようとしていた、とも考えられているのです。