「0」はいつ発見された?
数としての0の計算ルールが記されたのは7世紀のインド。それ以前にも「空き」を示す記号はありました。
628年
今日の最低気温は0度、試合は0対0の引き分け。私たちは毎日のように「0」を使っています。けれども、人類の長い歴史をふりかえると、0はかなり新しい発明です。ピラミッドを築いた古代エジプトの人々も、高度な幾何学を生み出した古代ギリシャの人々も、0という数字を使ってはいませんでした。
「0はいつ発見されたのか」。この問いに答えるには、まず0に2つの顔があることを知っておく必要があります。
「空っぽの位」を示す記号
1つめの顔は、位取りの記号としての0です。私たちは「205」と書いて二百五を表します。真ん中の0は、「十の位には何もない」ことを示す目印です。0がなければ、25と205と250を書き分けるのは困難です。
この「空っぽの位」を示す記号を早くから使っていたのが、古代メソポタミアの人々です。60を一区切りにする60進法を使っていたバビロニアでは、紀元前300年ごろまでには、空いた位を示す特別な記号が粘土板に書かれるようになっていました。ただし、これはあくまで「ここは空いている」という印で、それ自体を数として計算に使うものではありませんでした。
遠く離れた中米でも、マヤの人々が独自に0を表す記号を使っていました。貝殻のような形をした記号で、暦の日付を記すのに使われ、遅くとも4世紀には石碑に刻まれています。
7世紀のインドで、0が「数」になる
2つめの顔は、それ自体を計算に使える「数」としての0です。この考え方をはっきりと書き残したのが、7世紀インドの天文学者で数学者のブラフマグプタです。628年に著した天文学の書物の中で、彼は0を一つの数として扱い、「ある数に0を足しても変わらない」「ある数からその数を引くと0になる」「ある数に0をかけると0になる」といった計算の規則を示しました。負の数の計算規則もまとめています。
ただし、0で割る計算については、今日の数学とは違う答えを示していました。0で割るという問題は、それほど手ごわいものだったのです。「何もない」を数として扱うことは、それだけ大きな発想の転換でした。
いちばん古い「0」の文字は?
では、0の形をした文字そのものは、どこまでさかのぼれるのでしょう。
インド中部の町グワーリヤルにある寺院には、876年に刻まれた碑文が残っています。そこには「270」などの数が書かれ、今の0とよく似た小さな丸が使われています。長いあいだ、これはインドで年代の確かな最古の「0」として知られてきました。
それより古い例としては、カンボジアで見つかった683年の碑文が知られていて、ここでは0が小さな点で表されています。また、現在のパキスタンで出土した数学の写本「バクシャーリー写本」にも、点で表された0がたくさん現れます。2017年に発表された放射性炭素年代測定では、一部の紙片が3〜4世紀のものとされて話題になりました。ただ、紙片ごとに年代がばらつくこともあり、写本がいつ書かれたのかについては議論が続いています。
「空っぽ」から「ゼロ」へ
インドで生まれた0と位取りの数字は、やがてイスラム世界へ伝わり、9世紀にはバグダードの数学者フワーリズミーがこの計算法を紹介しました。そこからヨーロッパへ伝わり、1202年にはイタリアのフィボナッチが著書でこの数字を紹介しています。
名前の旅もたどれます。サンスクリット語で0は「シューニャ」、つまり「空っぽ」を意味する言葉で呼ばれていました。それがアラビア語で同じく「空」を意味する「スィフル」と訳され、ラテン語などを経て、英語の「ゼロ」になったと考えられています。