ダ・ヴィンチはなぜ鏡文字で書いた?
左利きの彼にとって書きやすく、インクをこすらずに済んだから、という説が有力です。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、絵画だけでなく、解剖学、建築、機械、水の流れ、鳥の飛び方まで、あらゆることを観察し、紙に書き留めた人でした。いまに残るノートや素描は約7000ページ。ところが、そのページを開いても、すぐには読めません。文字が右から左へ、鏡に映したように裏返しで書かれているからです。
鏡に映すと普通に読めるこの書き方は「鏡文字」と呼ばれます。なぜレオナルドは、わざわざこんな書き方をしたのでしょうか。
21歳の素描にも、すでに鏡文字
レオナルドの鏡文字は、若いころから始まっていました。いまわかっているなかで最も古い、日付の入った作品は、イタリア・フィレンツェのウフィツィ美術館にある風景素描です。その左上には「雪のサンタ・マリアの日、1473年8月5日」という書き込みがあり、これがすでに鏡文字で書かれています。1452年生まれのレオナルドは、このとき21歳でした。
その後も、自分のためのメモはほとんど鏡文字で書き続けました。一方で、ほかの人に読ませる文章は、普通の向きで書いています。つまりレオナルドは、両方の書き方ができたうえで、場面に応じて使い分けていたのです。
有力なのは「左利き」説
理由として最も有力なのは、レオナルドが左利きだったことです。素描の陰影をつける斜線を見ると、多くが左上から右下へ向かって引かれています。これは左手で線を引く人に特徴的な向きで、レオナルドの作品かどうかを見分ける手がかりにもなっています。
左利きの人が左から右へ文字を書くと、書いたばかりの行の上を手が通ってしまいます。当時は羽根ペンにインクをつけて書いていたので、乾ききらないインクをこすって汚してしまいがちです。右から左へ書けば、手は常にまだ何も書いていない紙の上を進みます。左利きの人にとっては、鏡文字のほうが自然で、理にかなった書き方だったと考えられています。
ただし、話はもう少し複雑です。2019年、フィレンツェの修復研究機関が先ほどの風景素描を詳しく調べたところ、表の鏡文字は左手で、裏に普通の向きで書かれた文は右手で書かれたとみられることがわかりました。調査を指揮した美術史家は、レオナルドは生まれつき左利きだったが、幼いころに右手も使うよう直されたのだろう、という見方を示しています。
「秘密の暗号」説は根拠が薄い
よく語られるのが、アイデアを盗まれないための暗号だった、という説です。けれども、鏡文字は鏡を1枚用意すれば誰でも読めますし、慣れれば鏡なしでも読めるようになります。秘密を守る方法としては、あまり役に立ちません。
ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館は、当時の書き方の先生たちが鏡文字を書いてみせることもあったこと、レオナルドの字の形自体はごくありふれたものであることを指摘しています。鏡文字は、特別な暗号というより、左利きの彼にとって楽な「普段の書き方」だったと見るのが自然でしょう。
残されたノートのゆくえ
1519年にフランスで亡くなったとき、レオナルドはノートと素描を弟子のフランチェスコ・メルツィに遺しました。メルツィはミラノ近郊の屋敷で大切に保管しましたが、1570年に彼が亡くなると、遺族によってノートは売られたり譲られたりして、ばらばらになっていきます。彫刻家ポンペオ・レオーニのように、ページを切り離して別の冊子にまとめ直した人もいました。
現在、レオナルドのノートはイタリア、フランス、スペイン、イギリスなど各地の図書館や美術館、個人のコレクションに分かれて伝わっています。鏡文字のページは、いまも世界中の研究者が読み解き続けています。